tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

千森杯 Qiansen Trophy 2017:女子注目選手と大気汚染ファクター

第一戦Fengtaiが終わったところでCXマガジンに女子出場選手のUCIランク表がでているのをみつけた。

 

http://www.cxmagazine.com/2017-china-qiansen-trophy-cyclocross-races-start-rider-list

Full Name Team Name Gender Nat UCI Rank
JOYCE VANDERBEKEN STEVENS Pro Cycling – Donen-Vondelmolen CX team F BEL 34
CEYLIN DEL CARMEN ALVARADO Kleuropmaat/BNS technics Cyclingteam F NED 43
EMILY KACHOREK SQUID F USA 64
KATHRYN CUMMING Jalapeno Cycling/King Kog F USA 71
GERALDINE HOEKE 2WCBeuningen – MTB Licht Verzet F NED 77
REBECCA LOCKE JBLOOD ADVENTURES F AUS 86
NAOMI WILLIAMS JBLOOD ADVENTURES F AUS 102
SERENA GORDON GIANT FACTORY OFF ROAD TEAM F USA 106
ASHLEY BARSON JAKROO F CAN 115
MIYOKO KARAMI Japan selection team F JPN 143

UCIランク順。第一戦の表彰台3名はAlvaradoを除いてこの順番どおりの結果に。
・優勝したVanderbekenはベルギー選手権で6位、SuperprestigeのRuddervoordeで9位、ワールドカップもおよそ20-30位台前後に入っている選手で、納得の結果。
・私は昨年第2戦だったFengtaiで勝っている19歳の小柄なオランダ人Alvaradoが有力かと思っていたが、第一戦はリタイア。
・昨年の北京後の実績はかなりのもの。DVVとSuperprestigeでコンスタントに10位台前半。国内ではオランダU23 で4位。同じレースにでているVanderbekenよりも上の順位のリザルトもあり実績からいうと優勝候補であることには間違いない。千森杯 万里の長城で、勝利宣言する女子選手に遭遇 - tannenbaum居眠り日記💤←去年Alvaradoに話を聞いたときの記事
・3位のKachorekは昨年の北京の第一戦勝者。2月にお台場で来日し、その時にAbove Bike Storeで日本人と交流しているので、日本からもエールを送る人が多いのではないか。北米外のレースの結果が北京以外になく他地域の選手との力関係は推し量りにくかったが、UCIランクどおりの順位になっている。


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(昨年の北京第2戦後。左がKachorek, 中央がAlvalado)

・第一戦で2位の米国人GordonはKachorekよりもさらに実力が推し量りにくい。UCIレースはClass2の北米のレースしか走っていない。

Former runner now top cyclist; Bend's Serena Bishop Gordon is one of the top cyclocross competitors もともとマラソンや、ウルトラマラソンを走るランナー出身の選手らしい。

・あとは去年の北京も、今年のお台場にも出ていたオーストラリア人Rebecca LockeとNaomi Williamsの二人組も個人的に気になるところ。フルタイムワーカーで休暇とお金のやりくりに苦労しながら、ヨーロッパ遠征も自力手配ベースでやっている、日本のレースもまた来たい、とお台場で話してくれた。
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・現地に行っているメディアの阿部さんの話によると、第一戦のAlvaradoは出足好調だったが、呼吸器の問題でリタイアしたとのこと。
・昨年と比べて、北京市街地の近郊Fengtaiの空気は良くなかったらしい。男子の第一戦で独走状態だったMarcel Wildhaberもまた走行中に呼吸器トラブルを起こしたらしく、優勝はベルギー人のVan Ticheltに持って行かれた。
・今年も参戦の須藤むつみさんも、去年より今年のほうが大気汚染は悪い気がすると言っている。
・第一戦のFengtaiは北京市市街地から近く、今日の第二戦のYanqingは万里の長城観光の拠点になる高原リゾートで、第二戦は第一戦よりは空気は良いようだけれど、私は昨年Yanqingの短いアップダウンのダートの砂埃を思い切り吸いながら屈んで撮影していたせいもあってか、夜に咳がとまらなくなり須藤むつみさん持参の咳止め薬に助けられた記憶がある。
・諏訪監督によると、現在日本人で呼吸器に影響が出ている選手はいないとのことだったが、やはり、レースのファクターになるほどの大気汚染というのは相当なレベル。
・昨年北京遠征する武田選手にPM2.5対策マスク持参をアドバイスしたという齊藤選手に、持参しているのかと聞いたが、それはしていないらしい。

 

 ともあれ、あと1戦、体調に気をつけて戦い、無事に帰国を。

 

MTBO世界選リトアニアみやげ話

臼杵レーシングの綿貫さんの家に、MTBO(マウンテンバイク・オリエンテーリング)世界選手権に出場しリトアニアから帰国したばかりのもりごんこと森美穂子選手が「預けていた植木を引き取りに」来るというので私もお帰りなさいを言いに行ってきました。

マウンテンバイク・オリエンテーリング - Wikipedia

マウンテンバイク(MTB)に乗車してオリエンテーリングをするスポーツ競技。国際オリエンテーリング連盟(IOF)が公式に推進しているオリエンテーリング4種目のひとつ。バイク競技の体力、持久力、技術と共に、MTBに乗車したまま高速で最良のルートを選ぶ厳しい判断力が求められる[1]

地図を読みながら、MTBに乗ってオリエンテーリングをするらしいのだが、いろんな能力が求められそうで難しそうな競技だ。

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もりごんといえば、冬のシクロクロス会場で糖分控えめの特製しるこを配布するL1選手として一部で知られているが、長期海外出張が多く、インドネシアのような国の見たこともない珍しいお菓子を頂いたこともある。異文化、初めての土地に対しての適応力は相当なレベルと見た。そんな彼女がMTBO世界選手権に出場するというのは違和感ないイメージだった。

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とりあえず、わたしの家の庭で摘んだハーブ入り花束を差し上げてみました。ハーブの「タンジー」(虫が嫌う)の花の匂いを深々と吸い「菊の花の真ん中の匂いがする…」という天然資源系薬学の研究者。
着ているTシャツは、向こうでフランスチームの選手たちから、日本製のサイクルジャージが高品質なので自分たちのと交換してくれという申込があり、もりごんはブカブカサイズのジャージより、このぴったりのTシャツを選んだのだそう。かなりレアだし、とても似合ってますね。

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・渡された地図に書いてあるチェックポイントを番号順に回る。

・小さいレシートのようなものはゴール後センサーが感知したチェックポイント通過時刻が打ち出されるもの。
・ちゃんと番号が打刻されないものがあるのは男子など別カテゴリーのレース用のチェックポイントに反応してしまったときに出るのだとか。

・最近のポイント通過確認の方式は選手の指に装着されたセンサーがチェックポイントから1メートル以内に近づいたら自動記録される。アクションが不要なため却ってそのポイントはちゃんと通過したのに、無効になってしまう。という悲劇が起こる可能性があり、要注意らしい。

・以前のように紙に穴をあけたり、チェックポイントにある器具にセンサーを入れたりの動作が要求されていたほうが逆に記録が確実に残せたのかもしれない、という話。


カーナビゲーションGoogleマップNAVITIMEのアプリが道案内してくれ、地図情報を頭を働かせて読み、自分がどこに居てどこに向かっているのか認識する能力が人類から失われつつある時代。
紙の地図でできるだけ自転車で速く回る、ということは、競技というプレッシャー下でその能力を再生させることができるのかもしれない。地図の読めない女こそ、すべき競技なのではないだろうか。(飛躍)

・この競技の本場は欧州。欧州ではMTBは広く普及しており、こういう競技をできる裾野が広いということらしい。街でMTBOのレースが通過しても、わかっていて見ている市民も多く、あっちあっち、とおせっかい(苦笑)を入れてくる人もいるそう。

・今回のリトアニアのコースは大変難易度が高く、もりごんはいままで出場した世界選の中で一番くたびれてしまい、休息日はひたすら寝て過ごし、買い物に出るチームメイトを見送って翌日のレースに備えたらしい。それでも晩御飯を皆と食べたら回復した、というところはさすが。

・そんなに途中寝込むほど疲れたのにレースを走りきり帰国後休まず出勤、日曜日のこの日は渡良瀬TTに出る知り合いを応援しに自宅から往復140kmを自走した、帰りは思ったより疲れちゃって・・と淡々と話していた。笑。

MTBO日本チームは会場となる国の文化も体験するというのを心がけているらしい。リトアニアは予想以上に石造りの風情ある街が美しく、食べ物も美味しくて驚いたそう。旧ソ連でも、豊かな土地らしいですものね。

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ノンアルコールビールの素。といっても粉を水に混ぜてできあがり、ではなくて、瓶の中で溶いて、紙のフタをして発酵させないと飲めないらしい。。

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綿貫さんが自分で育てた六条麦を収穫して自分で焙煎した麦茶(ひとことで書けてしまうが、完成するまでにとてつもない手間がかかる)を飲みながら、どういう果物を干したら美味しくなるかとか、リトアニアのマンホールの模様と日本との違いとか、地衣類って食べたことある?まずいよ。という普通の女子トークではあまり考えられない会話をしてお開きになった。

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かわいいケーキ?やエコバッグのお土産、ありがとうございました。


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千森杯2017 ストリーミング予定

主催者からの情報。ストリーミング放送予定があるようだ。
http://vku.youku.com/live/play?id=13055

女子は13:30- 男子は14:45-(北京時間)
ゼッケン番号日本チームは女子14-16番、男子15-23番。

北京は日本より1時間遅れ。
(Thanks to Saito-san) 

 

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 昨年来ていたストリーミングでスポーツ中継をするTV局のバス。
かなり本格的に、コースの数カ所に固定カメラを設置していた。今年も同じであれば快適に視聴できるのではないかと思う。

自転車レースを中継はよくやるのか、と英語のできるスタッフに質問したところこの会社は室内トラック競技はよく手がける、シクロクロスは毎年このレースだけ。という話をしていた。
コース上を横切る機材用のケーブルにかんたんに土が載せてあって、ややハラハラしたけど、それにひっかかって転倒したという話は聞かなかった。

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千森杯2017男子選手リストチェック

今年の中国北京の千森杯、主催者から発表されたスタートリストをざっとみていた。現地に行っても行かなくても私の恒例行事に(苦笑)

 下の表は一つの指標としてUCIのランキングをチェックしてみたもの。息子にExcelの比較作業をしてもらった。(女子の表も作ってくれるかな、お母さん待ってる(笑))

ただし各出場選手がポイントを獲得している土俵のレベルが千差万別なので、このランキング順位から実力を正確に比べることはできない。
全員が世界選やワールドカップ、SuperprestigeやDVVに常時出ていれば話はかんたんだったのだけれど。
去年も感じたけれども、それらのレースのすぐ下ぐらいに位置づけられるEKZ TourやToi Toi Cupに出ている選手が多い印象。

竹之内選手は昨年ビザの問題があってベルギーのレースでポイントがつくチャンスが例年よりうんと少なかったで実力を反映したものではない。
日本選手たち、行くからには、UCIポイント、賞金、ゲットしたいですね!下の表の左の列がUCI-C1のレースのポイント。上位15名まで。

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とりあえず、この表の上位7名までをチェックしてみた。

f:id:tannenbaum:20170902135751j:plain例年いる目玉選手はいるだろうか。(男子編)

【Marcel Wilthaber】 (スイス人)

スコットのヴィルトハーベルは去年もこの北京に出場して二戦目Fengtaiの勝者だし昨シーズンのEKZツアーの総合も獲って盤石感が強い。あまりあてにならないとはいえUCIランクも出場選手中ダントツ。

 

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先のBieles世界選は24位。
今年の千森杯は彼が勝ったFengtaiのほうが1戦目だ。この人はベルギーオランダ人を優遇するSuperprestigeやDVVには出ていないのかな。
今年も弟と参戦。試走の時、ものすごい勢いでスコットジャージ軍団が駆け抜けていたのが印象的だった。

かれは変わってる、と昨年ヨーロッパ人の選手の誰かが言っていた気がする。。
EKZツアーと彼については去年書いた。

千森杯 スコット軍団のスイス人とEKZ Tour - tannenbaum居眠り日記💤



【Yorben Van Tichelt】(ベルギー)


Masterclass: Yorben van Tichelt

昨シーズンUCIランキング56位の若手Van Tichelt (ERA-Circus) 。前Sunweb→Marlux所属。現在23歳でまだ十分若いがもともとはBMXで国内タイトルを獲っていたらしい。
ERA-Circusのチームメイトにはビッグレースを常に脅かすSweeck兄弟やBosmansの有名どころやSanne Cantの弟、Jelle Cantなどが居るし、北京で彼をウォッチすべきなことには違いない。

 この人は昨シーズンUCI-1のレースはEKZ TourやToi Toi Cupのリザルトしかでておらず、世界選も出ていないのでかんたんに他の選手との比較ができない。
上のMarcel Wilthaberが総合優勝したEKZ Tour総合11位なので、そのような力関係なのか。my.race|result : : EKZ CrossTour Meilen, 02.01.2017


彼が昨シーズンのポイントを稼いだのは主に英国車連のNational Trophy Series (英国内ではトップクラスのレース)https://www.britishcycling.org.uk/zuvvi/media/bc_files/cyclo_cross/2016/2016-17_BC_National_Trophy_Cyclo_cross_Series_Standings_final.pdf

終戦に欠場していなければ、総合優勝をさらっていたのでは。JCXシリーズに外国人が勝つような。ベルギーからはドーバー海峡渡ったらすぐだからこれまでもスポットでベルギーの若手が出場していたけどここまでNational Trophyに連続して出場していたのは何故か。


以前心臓の手術をしたという記事が出てきた。Succesvolle hartoperatie voor veldrijder Yorben Van Tichelt - HLN.be

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・・と書いたところで現地にいる織田聖選手が、早速オフィシャルトレーニングで彼の後ろをトレースして走らせてもらった、とのinstagram投稿。

昨年の試走でもヒジリ選手は、これと思う選手(評判がどうとかより現場で見て強そうに見える)の後ろを走る、というのを積極的にやっていた。どんどん吸収してもらいたいですね。

 

www.instagram.com


【Thijs van Amerongen】(オランダ人)


Thijs van Amerongen


掘り出し物いた。Thijs van Amerongen、FIDEAにいた選手。いまはZZPR。2012-14年頃はビッグレースで頻繁に目立っていた。昨シーズンもストリーミングで名前が呼ばれているのを聞いて、お、久しぶりと思った記憶がある。2013-14シーズンのUCIランキングは12位だった。14-15は28位、昨シーズンは67位とガクッと落ちた。それでFIDEA放出となったのか。

Thijs van Amerongen - WikipediaWiki

Home - Thijs van Amerongen←本人公式
AmerongenはZZPR(Orange Babiesというチーム名で活動してきた、有名選手*1を輩出してきたオランダのチーム、現行の選手ではTwan van den Brandが有名)からの出場のようだ。ZZPRはDe Stil - Piels Cycling Teamというロードのコンチネンタル登録チームのオフロード部門という位置づけらしい。)
再出発を期する彼は中国で足がかりを掴めるだろうか。

(どうも彼の名前からアメロンゲン、アメが長くなる→千歳飴、と連想してしまうんだけど、longじゃないしrongだし、とか超どうでもいいですね。)

 

【Emil Hekele】チェコ

Emil HekeleHPが非常ーに地味なのとトップにでてくる顔の画像これでいいのかという点が逆に好感度。。40歳でありながら(HPは60歳くらいのセンスか)先の世界選手権Bielesでは22位でWildhaberよりも上なのに注目。悪路得意のチェコ人だからか。

上の Van Ticheltがシングルリザルトを獲っているToi Toi Cupで10位台くらい。


 【小坂光】(日本)
世界選51位、ワールドカップHoogerhide57位。国内のUCIレース野辺山、寒河江で優勝。世界選とワールドカップのリザルトを見ると、下のハンセンあたりがターゲットになるか。
夏はロードの人だったけれども今夏初めてフルにMTBを走った。コンディションはどうだろうか。UCIポイントや賞金は当然ですが、できれば表彰台狙ってほしいですね。。
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【Kenneth Hansen】
デンマーク
デンマークのさわやかルッキングMTB青年(下の写真左)。世界選は36位。ZevenとZolderのワールドカップでは46, 47位。国内選手権では3位。
昨年は小坂父に「以前デンマークの世界選に出たことがあってね」と話しかけられていた。

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【Maxx CHANCE】(米国)

U23米国国内選手権3位の選手のようです。国際舞台での実績がないので、未知数。

Maxx Chance (University of Colorado Boulder) Wins Collegiate Men Club National Title 2017 上のU23の国内選手権の直前に開催された大学クラブ選手権?で優勝したときの記事があった。泥コンディション。

 

(追加)【GOSSE VAN DER MEER】(オランダ)
諏訪総監督から注目選手として送られてきたのがこの選手の写真。試走で、かなり速い、とこの人に注目した様子。

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Gosse van der meer
チェックするとU23カテゴリのオランダの上位選手で、SuperprestigeやDVVのU23 カテゴリでは常にトップ10入りしているようだ。
HPはひたすらシリアスなムードだけれど、ツイッターのアイコンなどみると口ひげを生やしている、ときもあるのかな。わかりやすい英語でツイートしている。

twitter.com

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昨年の目玉たちのその後。

 昨年の第2戦後の記者会見。左からアダムス、ヴィルトハーベル、ジョンジュワード。

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ところで、ポイント荒稼ぎに北京まできた目玉選手として、昨年はRob Peeters とJens Adamsがいた。その後Adamsは昨シーズンのUCIランキングを20位までアップした(前年は体調不良60位台、その前のシーズンは23位だった)。アダムスについては中国遠征効果はあったということか。

特にSuperprestigeでは軒並みシングルリザルト、Gietenはあと一歩で表彰台だった。北京で袖摺り会った選手がバンバンストリーミングで名前が出ると嬉しいものです。
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Peeters(上の写真中央)は前年と変わらないUCI40位だったよう。Wout Van Aertのアシストで活躍していたと見る向きもあるか。

 

これまで各国内で最上位カテゴリーの選手であればエントリー認めます、だったのをセレクション方式に変更し、段階を踏んで選手のリストが増えていって発表される形になった。
主催者側の出場者への経費負担というのは継続のようだけれども、だんだん「来てもらう」、から「主催者が選ぶ」、とステップが進んだようだ。
今後レース内容など、変わってゆくのか、また現地の選手たちの声を聞いてみたい。

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 レース後、賞金を受け取る選手の列、今回日本人はどれだけゲットできるか。

 




*1:Gerben de Knegt, Wilant van Gils, Daphny van den Brand, Ronald Mutsaars, Richard Groenendaal (AA drink), Sanne van Paassen, Sophie de Boer, Micky van Empel, Eddy van IJzendoorn Maik van der Heijden

レモングラスと桃源郷(MTB SHOP OTAKE 大竹雅一氏) 

Attack!299の前日、FRIETENチームのメンバー、根本さんに彼の職場近くの秋葉原で拾っていただき、宿泊地の町田入りする前に、根本氏のおしごと、試乗車を返却する、というのにお付き合いしました。
行き先はこちら。
MTB SHOP OTAKE BLOG
知る人ぞ知る、日本にMTBレースが持ち込まれた時代の伝説の人。大竹雅一氏。「シマノXTを開発した」と教わった。日本人で初めてMTB全米選手権(NORBA)で表彰台に登り、全日本MTB選手権初代優勝者。
いまは秦野でショップを開業しておられます。

佐宗さんが乗っている、緑のバイクにOTAKEってロゴがあったような。
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大竹さんのお名前は以前からレジェンド的存在としてお聞きしていたけれど、はじめてお会いしたのは、2015年、佐宗さんの結婚パーティー。
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私はロードバイクを買う前後、オータケ自転車 (FR-700)、という乗り心地のいい自転車をサイクルモード(当時はまだ東京国際自転車展?)で試乗し、本気で買うかどうか悩んだことがあった。
なにやらひと味ちがう商品が揃っている東京サンエスのブースでリーベンデールかっこいいなとか思いつつ、なんだかすごい方が設計したというオータケバイクを借りて試乗レーンでぐるぐる回るひとたちに混ざって試乗したのだった。
ブルー・グレーに塗装されたクラシックな外観だったが(フラットバーと両方つけられると聞いた気がするが試乗車はドロップハンドルだった記憶)、なれない人間にもスルスル操れ、包容力のあるおじさまの様なバイク、余裕ある大人のための、という印象を持った。結局その後Levelのクロモリのロードにしたのだけど。

そして10年後の結婚パーティーでオータケさん当人に遭遇。はじめてお見かけしたご本人は、皆のリスペクトをカサに着ない、少年のようなムードの自然体な方だった。
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そして今回はいよいよ、お店拝見。思えば数奇な巡り合わせである(かなり大げさ)。
到着前にネモさんから、お店の内装すべてが大竹さんの自作であること、お宝がざくざくなこと、そして、熱心に畑をやっていること、というブリーフィングを受ける。
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アメリカのロードムービーにでてきそうな佇まい。
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大きくない看板にかろうじてMTB SHOPとあるが、外観からは何のお店なのか工房なのか、正体はわからない。

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ネモさんに紹介してもらい、2年前に佐宗さんの結婚パーティーでお会いしている、と言ったら覚えてるよ、と軽やかな返事があったけれども、本当かどうか。店内には顧客から預かっているバイクがぎっしり。ファンをがっちりつかんで、自分のペースで納得のいく仕事をしているようだ。
得体のしれない訪問者に対して特に警戒も虚飾もなく、サラっとしている。かつて試乗したオータケ自転車を思い出す。
写真撮る人なの?じゃあ、これ撮ってよ。これ、元は何だかわかる?これも。これも。と、どんどん自慢のリサイクル部品利用の作品披露が始まる。
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自転車やPCのパーツを使った照明器具。アーチスト作の一点ものとしてインテリアショップで売れそう。こういうの、考えるのが好きなんだよねと。
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このフレームも撮ってよ。オリジナルで貴重なのだそう。詳しいことが理解できないが、美しいDE ROSA。
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アメリカンなセンスのオシャレな工具箱。
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これもお宝。ブリジストンのオリジナルで、色が珍しい、また、こんなコンディションのものはないだろうとのこと。愛らしいけれど、博物館レベルなのかも。
そう、いつか博物館やれたらいいなって思うんだよね。もう大竹さんの話のペースにどっぷりつかっている。
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この偉容。歴代すべてのOTAKEフレーム、OTAKEグリーン(竹色)。
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機材音痴にも迫力と魅力が伝わる。TOYOフレームで作っているらしい。
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頑固職人が仕事している風だが、これはHusqvarna(ハスクバーナチェンソーの有名メーカー。私は高級ミシンメーカーのイメージ)のチェーンソーのおもちゃを触っているところ。
職人と少年が混在し世俗を超えたムードだ。他人を押し退ける俺様感もなく、自らの道をピュアに歩んでいるよう。
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こ、これは・・?これはね、道路の向かいに住んでいる芸術家からもらったピノキオで、何かにしようと思ってるんだよ。
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ここにある自転車のしごとを全部片付けたら、これで何を作ろうか、ゆっくり考えようと思ってるんだよ。というあたりで、ネモさんの笑いが止まらなくなった。
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自転車店でよくある赤いスチールキャビネットに混ざって、このグリーンのものがカッコイイ、というと、工場用の重量物を入れても耐えられるハイスペック品で、一般には販売されていないものだ、とのこと。
横にあるアンティークな木製ガラス引き戸のキャビネットの中にぴったりに収まっている木箱たちは廃材で自作。規格がぴっちり揃っている。。高レベルな自作クオリティ。ここまでの写真に写っている床も壁も天井も内装すべて、自作とのこと。
店内に溢れる預り自転車の作業をぜんぶを片付けたら、代官山や中目黒のオシャレ自転車ショップみたいに出来るんだけど。と自負。わたしもそう思います。
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柱には栓抜き。よきアメリカンな香り。日本のMTB黎明期に、米国の空気を吸ってこられたゆえだろうか。
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ここは里山ちかくの住宅地だが、近所には工芸家や芸術家が何人も住んでいて、そういう人達と話をするのが楽しい。また、畑仲間の人生の先輩たちと話するのも勉強になる。と語る。
次にはあれをああいうふうに、と考えているとすぐに一日が過ぎてしまうのだそう。羨ましい。
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この角度で、ぶら下がってる自転車と、窓の外の薪と、向こうの木にかかっている自転車を入れて撮ってよ。いい眺めでしょう。とリクエストがあったが、レンズの画角がいまひとつ合わない。

ネモさんが、自分が預けているバイクの作業状況はどんなものか、とおもむろに話を振ると、いやあ、見ての通りこんなにたくさん預かっててね。もうちょっと待って。
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ガーデニング雑誌のグラビアが撮れそうな裏庭。
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ぶどうや、ラズベリーが実っている。なってますね、というと、ぜんぶ試食させてもらえた。そういうつもりではなかったんだけど。
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わがままを言って、畑を見せて頂いた。乾燥ぎみで日当たりの良い、まさにハーブ向けの畑。
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私、自転車部品の名前より、ハーブ歴20年ですので、こちらは得意。こんなにレモングラスの大株たくさんどうするのか、とビックリしていたら知り合いのレストランに頼まれて分けているのだそう。
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このラベンダーの花の乾燥ぎみな様子、きっと濃厚な香りがするに違いない。
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ビストロ勤務経験のあるネモさんが、農家に買い付けにきた熟練シェフのような仕草で味見したバジルやルッコラ。うまい!と驚きの声。私も味見したが、味が濃いのだ。
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今流行の長細いプチトマトももいでもらってすぐ口に入れたけれども、鮮やかな味。丸い葉っぱのスペアミントの群生があまりに元気そうなので、挿し芽にしたいといって、枝先をもらった。
自家採種して繰り返し自分の畑に蒔いているとその土地に順応してどんどん元気で美味しいものができるようになる、という話を大竹さんはしておられたが、ちょうど最近野菜の種の本でそういう事を読んだばかりだったので自分も是非やってみたいと思った(園芸ブログ化)。しかし、この畑のいちめんに広がる野菜やハーブたちの、幸せそうな様子。大竹さんの手間の掛け方がちょうどいい塩梅なのかな。
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畑に降りる斜面には自作のウッドチップが敷き詰めてあり、足元がドロドロになるのを防いでいる。そういえば、写真がなかったので言及していないが、店内には薪ストーブがある。佐宗さんの薪ストーブとは大きさも素材も違うのだ、という説明。
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この日ネモさんが返却していた試乗車はこれ。ご興味のある方は東京サンエスまで。
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思いがけず、自転車屋さん訪問とは思えないような体験をさせていただきました。どうもありがとうございました。

すごいレジェンドと散々聞いて伺ってかいま見た、名の知られた侍の悠然とした佇まい。それは、私がリアルタイムで見ることの無かった時代に彼の通ったすさまじい道のりあっての現在なのかもしれません。
振り返って、何事も特に成し遂げず終わりそうな自分でも、自分の愛するものごとと、しっかり向き合って、悔いのないようにしたいな。。とインスパイアされたひと時になりました。
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(店の前に積まれたのは、乾燥したレモングラス

懲りない人々(第13回Attack!299)

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またもや、行ってまいりました、飯能~麦草峠、Attack!299。走行距離160km、獲得標高3800m。今年で13回目になるんですね。


(↓公式サイト)(私の写真をあちこち使っていただいていて、光栄です)

www.attack299.mikami.cc

車から走行中のサイクリスト達を撮る。

それだけでもウキウキする上に、ライバルとの比較や、タイム追求脚自慢、完走目標組、去年までの自分との競争、チームで団結、シクロクロス開幕前ダイエット、など様々な(皆さん上級者ですが)人々がそれぞれの目標と楽しみ方で参加している。

そして色々な目標で集まった皆に平等に襲いかかる、エスカレートしてゆく峠と暑さ(ときには雨)。

沿道の風情、天気や環境の変動要素、走る人たちの悲喜こもごも、など写真心が刺激されるイベントです。

(↓ルート)

latlonglab.yahoo.co.jp


わざわざ一年の一番暑い季節に厳しいコースを苦しみ・楽しむ皆の様子に「この人ら、もしかしてアホなのでは(関西風:賞賛と愛情入り)」と感じつつ応援しながら今年も撮ってきました。

走る方がもしかしてアホなら、ただ撮るために前夜から泊まりで出かけて帰ってきてから何日も仕事のあと夜遅くまで写真編集するとかもっとアホかも。

↓今年の写真アルバム。今年もFRIETENのサポート車(1号車)で追いかけたので5時スタートの後ろの方しか撮れていませんが。

flic.kr

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飯能スタートは8月6日の夜明け。
前夜、盛大な「橋本七夕まつり」の蒸し風呂のような熱気の中にいました。お嬢さんのトコちゃんが楽しみにしているお祭りにアテンドのあと、遅くまで翌日の準備に奔走するFRIETENのDS足立さん。彼は寝たのか?食べたのか?

私は短時間バッチリ睡眠。チームの根本さんに手伝ってもらって、自宅で焼いてマシュマロなどを混ぜ平たくして持参したグラノーラバーを切り個別包装しました。これはスタート前に一人2本配布。
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飯能スタート地点到着。4:30スタート組の皆様スタート前に注意事項伝達する主催者の三上さん。3UPジャージの人たちの中にCyclowiredの綾野編集長が写っていました。そのときは知らなかった。。↓

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そして最終スタート組は、脚自慢のぴりっとした雰囲気。三上さんもジャージに着替えています。↓

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マイルポストの國井さん、代田ヨシアキさんたち、こんなににこやかですが、スタート直後から姿が見えなくなり、ゴールするまで走行中、ふたたび彼らの緑のジャージを見ることは一度もありませんでした(速すぎ)。

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そしてFRIETENの面々(実は4:30スタート登録で遅刻なので、5時スタートの皆様の後ろから遠慮がちにスタート。リザルトのタイムは4:30スタートで計測)。

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 タイム目標とかない人達、こんな感じ。

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このアルミ貼り付けしてあるバイク。なんでも静電気を抑制(放出?)することで空力が云々だとか。よく知らんけど。

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スタート。

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薄明るいまだ街灯の灯る飯能の商店街をゆく集団。このシチュエーションと光の加減はなかなか撮れない景色で、興奮して沢山シャッター切りました。

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対向車がまだヘッドライトつけている時間。

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だんだん山がかってきます。

今年は当日50%の雨予報で、場合によっては山の上で寒いことも予想されるので、主催者から装備への注意喚起がされていました。
山が霞んでいる。。墨絵みたいできれいだけれども、天気荒れませんように。日差しじりじりがないのはライダーには楽でしたかね。

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そろそろバラけてきます。っていうか集団は絵になるけど、そろそろ同じ人の背中撮るの飽きてきた。最後尾、交代してくれないかな。絵的に(苦笑)

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最初の山伏峠への上りにはいってバラけたので、私の乗るチームカー(GM笠原さん運転)は選手の横を通過してほしいものがないか、聞き始めた。

笑みのようなものを浮かべて走る足立さん。いっときより絞れている。

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2014年私が初めて299を撮ったときはもっと体が重そうで、欲しいものを聞くと「愛をくれ愛を」とか言っていた。

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FRIETENで一番今日のための準備ができている(のぼりの練習もして、体も絞れている)と言われていた大久保さん。↓しかし前日仕事のあと寝ないで参加。

ちなみにこの写真、今回のベストショットの一つです。

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セメントが採れそうな山が前方に見えている。

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どちらからですか?参加者と会話する三上さん。

DSC_0471ローソン小鹿野飯田店。
薄ピンクの今年のAttack!299Tシャツを来たサポートスタッフの皆さん。

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 次は志賀坂峠へ。シクロクロス会場でみかける方たちもけっこう参加している。

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がけ崩れを防ぐコンクリートが苔むしている。 日当たりのない暗い箇所もけっこうあった。

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  群馬県に。

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運転している笠原GMが、下りで撮れそうな場所で停車してくれた。皆、けっこうな勢いでかっ飛んでくる。上りあれば下りあり。

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サドルの前に腰を落とした重戦車モリタロウ。

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たくさん出場していたCICADAのライダーのうち二名が沿道に風圧がブワっとくる勢いでかっ飛んで行った。切れながらフレームに入ったのはギョさん。前にいたのは小村さんかな(写真再生するまでわからず)。

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 CICADAのサポートカー、後方座席にはVIPが。

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 EXIF情報によると、この時まだ朝の8時過ぎ。

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猫っぽい

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自分の娘からRonde van Vlaanderenボトルを受け取る。出発時は車内でぐっすり寝ていたトコちゃんですが、ボトル渡しはもう何年もやっています。

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こういう写真がわたしの目当て、サポートカーからの光景。前方の選手を撮るのはいいんです。横はピント合わせづらく、後ろは速度があわず狙った構図で撮るのが難しい。そして後ろばかり撮ってると酔いそうに。

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ボトルに氷もいれて。長時間の間に細かい氷はクーラーボックスでも溶けてしまうので、コンビニで買い足していった。

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上野原の補給所。冷やしトマトやコーラ、ベルギーのシナモン入りクッキーなどよく考えられた品々でおもてなし。到着が遅くてほかの補給物もあったけれど売り切れとのこと。スタッフの方がとても親切なムードで、疲れたライダーたちにはありがたいはず。

 

スマホの呼び出し音のようなものがなったので見ると休日用の寝坊しすぎ防止9:00のアラームだった。もう1日さんざんいろんなことあったのにまだ9時!?

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先着していた大久保さんに、調子いいねと声をかけると、いやあ辛くてしょうがないんだよー。と浮かない表情。鈴木ユースケさんはグラノーラバーが美味しいそうです。よかった。

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上野村のチェックポイント地点となっている森の体験館は、きれいな川辺に降りる階段があるのですが、みんな出発しちゃうかも、ともっと遊びたがるトコちゃんを促した。カメラ持ったおばさん、妖精のように駆けあがる10歳に完全に階段でちぎられました。

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急いで川から上がったけれども、後方のメンバーがまだ来なくて、先行の人達もタイム目標にしてないので、待つ。

足立さんは足がつっているらしい。睡眠不足からか。私は以前の299に持参した足つり対策の漢方薬を今回持参していない。反省ポイント。

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すこぶるまったり休憩する様子に三上さんが「年季のはいったのんびりぶりだね」と笑った。いいのか。

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もう、ほかに到着するライダーも出払ったかと思われた頃、遅れていたメンバー吉松さんと勝田さんが到着。吉松さんは、チームメイトが落としたミニアンパンを拾ってきていた。

「これってー、ユースケのとちがうん~?」
過去2回完走できなかった吉松さんだが、今年は余裕があるのかも。

(昨年の「犯人確保」の瞬間。)

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本人も「時間的にはバックアタック決めてるけど、今年は他人に惑わされないで自分のペースで走れてるから、去年より力が残ってる。いい感じと思うんよ~」とまったり口調。

そういえば彼は、遅刻スタートで準備真っ只中のチームメイトに名古屋土産を配布して回っていた。。(「ゆかり」美味しかったです)。

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そしていよいよ、胸突き八丁の十石ののぼりへ。防護フェンスないところにゴロゴロ落石があった。

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 うっそうとしてきた。

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きつそう。
三上さん以外。

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この写真気に入っている。いいと思える写真をどうやったら撮れるのか相変わらず分析できない。木の間隔とライダーの配置かな。

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 過去メカトラつづきで完走ならずだった根本さん、今回は順調そう。安定の走り。

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鉄心という剣士のような名前の彼ですがカートレーサーで速度耐性が人と違うらしく、下りは恐るべき速さだったらしい。

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山野草の写真家が二人撮影にきていたので、彼らと同じものを撮ってみた。きいちご?山野草撮影は、季節のものが生えてくるタイミングと沿道の草刈りタイミングとの兼ね合いがめぼしいものが撮れるかどうかの勝負なのだとか。とくにアナウンスされず、予測つかないのだそう。

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 3UP軍団。斜度が急だ。

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なんと、前を走っていた大久保さんが脚をとめていた。どうしたのか、と聞くと「景色をね、みてるんだよ。。」顔色がすぐれない。

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上野原のチェックポイントからうかない表情だったが、熱中症のよう。飲み物や、塩タブレットをすすめるが、あまり欲しがらない。まず塩分と水分をとるとやわらぐはずなんだけれど。。

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タブレットかあ。ちょっともらっとくか。・・とあまり積極的に取ろうとしない。あとで三上さんにこういう時の対応を聞いたが、まずはカロリーをとらせると体に必要なものを自覚できるようになるのだとか。

 

トコちゃんの差し出すおもちゃの扇風機に「わあ、すずしいなぁ」という温厚な人。↓

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扇風機を自分からリクエストしておいて、ちっとも涼しくないぞ!とキレる人。↓

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美しい風景ですが。もうちょい、もうちょい。

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十石峠、制覇ポーズ。

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ここで昨年麦草の上りでアダチモフが追い剥ぎのように旅人に追いすがり配布して好評だった、FRIETEN秘伝のみそきゅうり(普通のだけど)にいよいよ出番がきた。

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今年の十石峠はかなり辛かったらしく、皆が喜ぶことといったら。

味噌の塩分とタンパク質を摂取するための土台としてのきゅうりですが、体を冷やし、のどの渇きを潤す効果もありますからね。

3日前につけこんでおいたレモンのはちみつ漬けも好評だった。こういうの嬉しい。

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吉松さん、自撮り記念撮影もしてどうやら大丈夫そう。

第二サポートカーはこの日のため臨時に駆り出されたケンちゃんという人が運転していたのですが、事前に刷り込まれた任務が「吉松回収」だったことから
「吉松さん、大丈夫ですか。車乗りませんか~」「吉松さん寂しいですから、乗りましょうよー」
という攻撃をしながら付き添っていたらしい。それ、逆に、がんばれるかも。

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大久保さん、座り込んでいる。このポイントはいつもはもっとゆっくりする場所だけれど、アブがとても多くてゆっくりできなかった。足立さんは脚がつっていてつらそう。塩タブレットを差し出すと、たくさん食べていた。

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このあとの十石の下りで炸裂した人達も居たようですが。

・・美しい田園風景を観ながら笠原GMと人生について語っていると道を間違えました。。なので次のチェックポイントまでライダーの写真がありません。あしからず。

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そして最終チェックポイント、セブンイレブン佐久穂町店。向かいにすごい岩が見えるんですよね。

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さあ、最後。ここのあたりと麦草の前半、暑いんですよね。モリタロウはロックアイスの袋をテディベアのように抱きしめて持ち歩いていました。
最後尾あたりの私達がついたころには、ボトルに入る小さい氷はここのセブンでは売り切れていて、チームカーは近くのドラッグストアに回り込んでから麦草に向かいました。

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CICADAの堀さん、力のある人がチームのペースをまとめたり、チームカーと行ったり来たり。

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車にのっていてもじりじりな暑さの麦草の序盤。

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このシチュエーションで「メルヘン街道」とか廃車の脇で掲げても見る人は神経逆撫でされるだけでしょう。

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女性ライダーも増えた、そして、完走する、このイベント。

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 つらいはずですが、明るい顔の人が多かったのは、フィナーレ間近だから?

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トコちゃんが、ねえ、トコのおとうさんですごい人なの?と聞いてきた。
トコちゃんのおとうさんは、昨日お仕事して、そのあと、トコちゃんとお友達とお祭りにいって、トコちゃんのお友達をおうちに送りに行って、チームの人達の送り迎えして、自転車やサポートカーの準備したりであんまり寝てないのに、今日はこんなに走ってるよ、すごいよね。と言うと、じゃあお父さん応援してくる。といって走っていった。

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カメラマン兼サポートたいへんそう。わたしは運転してないし。

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胡散臭げに見られるわたくし。なんでや。いよいよ最終の補給地点。

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 白樺群生地(日本最大?)を通り。

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このあたりまでくると、いままでみかけなかったジャージの人々が。

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大久保さん、復活している。いいテンポ。「佐久穂のチェックポイントまではつらくてしょうがなかったけど、麦草ののぼりはじめて水を浴びたらよくなった」物理的に冷やすというのもあった。熱中症対策。←反省点

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雨だ。冷えすぎなければいいけど。

写真は、雨粒にフォーカスあててむこうの人物を撮ったソール・ライター風(失礼)

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 レインジャケットを直前にサポートから受け取ったという人達も多かったみたい。

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あがったけど、路面は濡れている。

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過去ずっとゴール地点で、記念撮影スポットだった「メルヘン街道最高峰地点、麦草峠」の看板。今は停車できないので、すこしくだったところがゴールに移動しました。

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 ゴール地点に駐車すると、とうにゴールし、完全にこざっぱりしている國井さん。途中一度も見かけなかったので、あ、そうだ、國井さんも走ってたんだ!とはるか昔のことのように思い出した(笑)

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 ゴール地点でいろんな知り合いに会えた。

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咆哮?ゴールのユースケさん。

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自社製品でゴール、根本さん。

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結局チーム内では20分以上のリードで先着した大久保さん。最後回復してよかった。

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そして、吉松さんもギリギリ時間内ゴール。5時スタートで、間に合った初完走。ハイタッチとかしていたせいか、写真がありません。やったー。

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そして最後の人達のゴールを待っていたかのような土砂降りが。

合理的な装備で撤収準備。

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出場、主催の皆様、本当におつかれさまでした。

もういいかな、自分は今年でおしまい。いや、そんなこと言ってまたきっと出るよね?という会話が聞こえてきました。

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泥の貴公子、小坂光選手インタビュー(2)

 

 

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 (以下、子供時代・学生時代の写真は小坂選手提供)

週末、レース会場に居るのが当然だった子供時代

・真っ黒でやんちゃそうですね。今と印象が違うような。

印象が変わりやすいと言われます。 

・確かに、ブリッツェンに入った年でしたか、ヒカル選手がパーマをかけたのが評判になりましたし*1その後も筋トレをして体型が変わったりとか、見た目の印象はけっこう変動ある印象ですね(笑)

(ヒカル選手のことはおむつのころから知るというMillet.Kさんの発行していたTune Up Pressについてヒカル選手に見せる)

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ああこれは、もう、20年前ですね。そうですね。毎週末家族でレース会場にいました。

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(父、小坂正則選手と)

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(当時来日して信州シクロクロスに出場していた、のちに初代シクロクロス女子世界チャンピオンとなるHanka Kupfernagelと。)

・レース会場にいるときは何をしていたのですか?

だれか同年代の遊び相手がいるということはなくて、一人であたりの山の中で遊んでました。それで楽しかったです。

・遊園地に家族でおでかけするような感じではなく。

あたりまえにレース会場にいましたね。

・小さいころから大人がレースをやっている会場に通って、何か特別礼儀とか言葉づかいが身に着いたとかありますか?

特別そういう自覚はないですね。ふつうにそこに居たという感じです。

・とにかく、当然の世界だったんですね。レース会場が。。子供の頃から自転車競技をやっていたのですか?

たまに子供クラスのレースに出たりしていましたが、サッカーをやっていました。トップ下かサイドバックがポジションで、テクニックがあるタイプの選手でした。

・サッカー選手になるのが当時の夢でしたか?

サッカー始める前の小さいころは自転車の世界選手権で優勝する、と思っていました。

・それはTVか何かで?

父親がやっていた競技だからですかね。

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(スワコレーシングのジャージ、こんな小さいサイズもあるんですね。)

・子供のときのサッカーで活躍する子は運動神経がいいイメージです。小さいころは別の競技をやってきた子が良かったりする、といいますよね。

そうですね、柔軟性や細かいシクロクロスの動きなどへの対応は自分はサッカーをやっていたことが活きていると思います。

サッカーでは地域選抜選手に選ばれたこともありましたが、学年があがるにつれて体格が大きくなかったので、当たり負けするようになり、面白くない思いをすることが増えたんです。

サッカーをなんとなく続けていた高校1年の冬に、出ないかと誘われて出場したシクロクロスが面白くて、その年にC2まで上がり、高2の時にC1に上がりましたが、そのころはレースに出るだけでした。

高3は受験のためにお休みして、大学に入学して自転車に取り組み始めました。

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 (自転車の面白さに目覚めていった頃)


父の無言の教育と息子の成長

・自転車の練習については、どんな形で?

高崎経済大学はサイクリング部しかなく、もっぱら父について走るのが練習でした。

・クラブチームに入ったんですか?

父と同じスワコレーシングに所属していましたが、佐久と諏訪湖は離れていたので、毎週行くことは難しく、父と走っていました。

・お父さんが厳しく手取り足取り自転車の指導を?

あれこれ言われるというより、父と一緒に走ることで学んだと思います。大学一年生のときはまだ弱くて登りでガーっといくオヤジについていくのが難しかったのですが、二年生になると大丈夫でした。

・お父さんは細かいことはいわずに見守る感じだったのですか。

勉強のことでも、一回一回のテストの点数を取り上げて注意するということはなくて、総体的に「しっかりやってるんだろうな?」という無言の雰囲気というか圧力が漂っていて。それで、しっかりやらなければ、と思いました。

・無言の圧力。笑。小坂お父さんにそういわれると、そのほうが効果あるかもしれませんね。

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(2011-12シーズン 全日本選手権

具体的な細かいことで注意を受けた記憶は、自転車でもないですね。

・それで勉強も真面目にやって国公立の大学に入って。今も仕事とレースの両立をして、ということが自主的にできるというあたり、基本的に根が真面目なんですね。A型ですか。

どうなんでしょう。A型ですが。本当は自転車選手が沢山集まっていた松本に行きたくて、信州大学に入りたかったですが、希望が叶わなかったんです。

・そして大学入学後、本格的に自転車に取り組み始めて一気に強くなったんですよね。在学中にブリッツェンに入ったんですから。

たくさん乗ってましたからね。授業の関係で難しい日以外は毎日2時間程度乗っていました。2年生のときは実業団のE1で毎回入賞するぐらいの力がついていました。それで大学2年の冬、創設時のブリッツェンから声がかかって。

・そうするとそのときはロードメインということで。

ロードとともにシクロクロスも冬に走らせてもらえるというのを最初から条件として認めてもらっていました。

・ブリッツェンの創設時から今まで在籍しているんですね。

創設の時から居るのは自分だけですね。一番古いです。

・では、威張ってもいいんじゃないですか?もっと(笑)

まあ、でもシクロクロスチームということでちょっとカテゴリーが別なので(笑)

・最初からチームにいることもあって、周囲や地元の人たちにはさぞ親しまれる選手になったんでしょうね。

まあそうでしょうね。たくさんの人に毎回応援してもらえて、本当にありがたいです。

・しかし大学時代は家が佐久で、学校が高崎で。

下宿するよりはいいということで、新幹線通学をしていました。

・遠距離通学、さらにブリッツェンの活動。

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(2010-11シーズン   野辺山)

佐久から新幹線で学校にいって、両毛線で宇都宮に移動してブリッツェンの活動をしてから電車で大学に戻ったりして。

・三地点の移動、毎日大変じゃないですか。。

でも3,4年になったら授業もそんなにいかなくていいし、時間はとれましたね。

・単位はばっちり下級生のうちにとっていたんですね。

そうですね。1、2年のうちに単位をしっかり取っていたので、3、4年の時は練習時間が沢山とれました。落とした授業の単位は一つだけだった気がします。世界選と試験の時期が重なっていたので、教授に掛け合ったのですが、やはり試験の日に試験を受けないと単位はやらないと言われてしまって。

・そういう考えの教授だったんですね。それ以外は全部落とさなかったのは、真面目ですね。そうなるとアルバイトなんかしていられないでしょうか。

アルバイトはあまりしませんでした。海外遠征に初めて行ったのがブリッツェンに入る直前の冬だったんですが、その前の夏休みは資金を稼ぐために中華料理店でアルバイトはしました。

 ・ホール担当ですか?

キッチンで皿洗いと、簡単に餃子を並べて焼くぐらいです。

・寝る時間ありましたか?

それは大丈夫でした。 もし大学時代に下宿していたら、自己管理や家事、料理などが大変で、今の選手としてのレベルにはなっていなかったような気がします。実家で母親が食事を用意してくれて、色々やってくれたので、今思うと大変助かりました。

・なるほど、選手としての成長期に実家にいたメリットがあったと。お母さまは以前お話ししたときに夫と息子が揃ってここまでの選手だというのにちっとも威張ったところがなくて、「自分は何も特別なことはしていないんですよ。」と穏やかな感じで話しておられました。

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・いつか茨城CXの会場にお母さんがいらしていて、お父さんと、ヒカル選手分のおいなりさんと、切ったりんごを用意して、さりげなく差し出すサポート体制、それをもくもくと食べる父子、これは何十年続いてきた姿なんだろうか、と印象に残っています。

母親は本当にありがたい存在です。今も、オヤジと同じレースのときは「おにぎりはいるか」と聞いてくれたりして。

・いいですねー。


ブリッツェン入りと宇都宮市役所就職前後の悩み

・私が最初にヒカル選手を見たのは、おそらく2007年のビワコマイアミランドのレース、スワコレーシング時代だと思うんですが。その時に父子選手だというのは教えてもらいました。

・その後、2010年のジャパンカップ、山岳ポイント狙いでドラパックの選手と競っていた姿は印象に残っています。

http://tannenbaum.hatenadiary.jp/entry/20101104/p2 ←2010年ジャパンカップ観戦時の当ブログ。古賀志山頂の熱狂する人垣の間を決死の表情で山岳賞を取り合うヒカル選手とドラパックのThomas Palmer。前日のクリテリウムで勝ったパルマーが容赦なく山岳賞ももぎ取った。

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(2010年   ジャパンカップ。レース中のヒカル選手を撮影したいちばん最初かもしれない)

あれは、悔しかったです。山岳賞取りたかった。あとで聞くと相手のパルマー選手はトラック競技でジュニアのときに世界タイトルを取るぐらいの選手だったようでしたが。

・ブリッツェンはロード選手として声をかけたわけですよね。シクロクロスについてはチームとの間はどういう約束になっていたのでしょうか。

シクロクロスも走ってよい、という約束で入団しました。
当時シクロクロスのレースの時にはブリッツェンのジャージを着てフレームもチームサプライヤーのクオータでしたが、ブリッツェンに来て当初はチームのサプライヤーのクオータからフレームを提供してもらってました*2。レース時のスタッフによるサポートはなくて、父のスワコと同行したりしていました。

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(2010-11シーズン  全日本選手権。赤いフラッグのサポーター集団こそ居なかったが、赤い上着のチーム関係者、栗村さんらがゴール地点で激を飛ばしていた記憶)

・ロード選手としても、山もなんでもこなせそうだし。

まあ、そうですね。それで、就職するときにはかなり悩みました。このまま自転車一本でやっていきたいという気持ちもありましたし。 

・でも市役所に受かった。

そうですね。

・受かってからも悩んだということでしょうか。

受かってから、ロードで成績がかなり出るようになって、全日本実業団もけっこうよく走れる時期がきて、自分でも「だんだん、来たな」という実感もありました。

・そんな選手としての好調な時期の直後に就職してたまたま配属先が多忙な部署だったので、余計に就職一年目は苦しいものがあったんでしょうね。

最初のころは、そのあたりはありましたね。

・自転車だけやってたらよかったのではないかと。

そうですね。。

・でも公務員というのは、お父様も公務員と両立していますし、そのへんはアドバイスがあったりしたんですか。

自分で決めろ、という感じだったですね。まだ引退してからの人生もあるし。僕らの時代ではまだちょっと難しいかなというのもありますし。

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(2013-14シーズン   飯山 横山選手との名勝負を制した)

・それは自転車だけで食べるということについてですか。

そうですね。選手だけでやったとして、それで、というところですよね。このあとメジャースポーツになれば変わるかもしれませんが。

 ・そのあとの人生もありますしね。でも進んだのが、しっかりした勤務先だし、部署によっては、一般企業より残業が少ない可能性はあるし。

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(2012-13シーズン   GPミストラル

今、考えたらこの選択でよかったかなと思っています。周囲も理解がある場所で。

・就職一年目の苦労は大変だったようですね。私も当時直接ヒカル選手から、大変です、という言葉を聞いた記憶があります。

はい、こんなに大変なものだったのか、と思いましたね。就職と同時に実家を出て一人暮らし始めたというのもありましたし。

・今まで実家だったので同時に家事ものしかかってきて。

そうです。

・最初の配属先は残業が多かったようですね。

社会人になって4年間は残業が多い部署で結構大変でした。

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(2012-13シーズン   GPミストラル

・練習時間も制限されてしまったと。次にまた忙しい部署になったら大変ですね。

周囲も自分がやっていることを、前よりわかってくれてきていると思います。世界選のときは公休扱いにしてもらえましたし。

・世界選となるとそうなんですね。また、宇都宮の土地柄というか、自転車に理解のある地盤というのもありますし。年末年始は自分の有給で?

そうです。あの時期は仕事が立て込んでいたので、神経を使いました。その後に世界選でまた休む予定でしたし。世界選のあとの仕事が大変になるかもしれず思いやられたのですが、それがなくなったのはほっとしました。

宇都宮城址でエキシビションがあったときに、前の部署の同僚のかたたちが「ヒカル」と書いたキラキラうちわで応援していたので、お話ししたんですが、忙しくても競技を理由に仕事をおろそかにすることが全くない誠実な素晴らしい人です。と話してくれたのが印象的でした。

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 (2015-16シーズン 宇都宮。同僚の方々から、ヒカル選手の誠実な仕事ぶりについてお聞きした)

そうなんですね(嬉しそうな顔)。忙しかったんですが、和気あいあいとした部署でした。人数も多かったんですが。

・仕事の内容をひきずったりしないようにする、気持ちを切り替えるのには何かしていますか。

特に、そんなに切り替えに苦労するようなことはないですね。

・すばらしい。もともと真面目だから。

どうなんでしょう。周りの人たちがとても応援して、よくしてくれるので。


仕事があるからこのレベルで、というのは無い。

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(2014-15シーズン   全日本選手権

・社会人生活と練習、どちらもきっちりこなすヒカル選手は生活にほかの要素が入る余地はなかなかないのではないですか。

趣味というものがないんですよね。。やる時間もないんですけども。オートバイは乗ってみたいですね。一度林道で乗ったときに、本当に楽しかったので、かなり興味があります。

・そうすると、現在の気晴らしはどうやって?

飲み会ですかね。。趣味は飲酒、みたいな(苦笑)

・肝臓の力で気分転換をしていると(笑)

お酒自体が好きなのと、その場が好きなんです。

・シーズン中は飲んでもいいんですか?

支障のない範囲でなら。

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(2016-17シーズン  幕張)

・でも、特殊なことをしなくても解消できている、ということですね。

誘いが多いので、ついつい行っちゃう、というのもあります。会社の同期とか先輩とか、チームだったりとか、以前ブラーゼンのチームメイトだった鈴木龍とか。ちょくちょく宇都宮に来るので。

・お店はきめているんですか?

ここしか行かないということではないんですが、よくいくお店はありますね。

・宇都宮は飲食店は多いですしね。以前宇都宮のビストロで、クロスファンでない友人とランチをしたときに、お店の人が小坂選手だけでなくお父さんのことを50歳代で現役選手と知っているのでびっくりしました。

ああ、みはしカフェですかね。あのお店の方はブリッツェンを応援してくれています。

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(2013-14シーズン   飯山)

・そういえば、以前はレース会場で小坂さんといえばお父さんの正則さんだったのですが、最近は小坂さん、というのがヒカル選手、正則さんが小坂お父さんとか小坂パパとか言われることが増えているように感じますね。

そうですね。呼び方が逆転してきたかもしれないですね。小坂オヤジとか。

・私が見始めたときヒカル選手はずっとお父さんの後ろを走っているイメージで「なかなか父を超えられない息子」とまでいわれていた時期があって。

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(2011-12シーズン 全日本選手権

大学1年の頃なんて、父との力の差は相当あったと思います。

3年くらい前からですかね。。といっても去年もおととしも負けたレースはあります。 

 ・その後ヒカル選手がお父さんに勝ち始めて、それでも、依然としてお父さんはいまだに日本のトップレベルにとどまっているのが素晴らしいですね。

オヤジは今シーズン強かったですね。。職場が近くなったんで。練習量が増えたようですね。

・お父さんは、暫く新幹線通勤していましたよね。

今は自転車で10-15分のようです。

 ・公務員の配属替えが、小坂親子の練習に影響しているわけですね。

オヤジは国家公務員ですから、転勤はつきものなので、近くなれば楽になるし、遠くなると練習が大変になる。自分は市役所なので、出先はあるにせよ、市内なので。

・それをずっとしのいでこられたんですね。。大変ですね。。

それに伴い、辛い時期もあったようですね。

・普通のホビーレーサーも仕事や家庭との両立で苦労しながら競技をしている人が沢山いますが、ヒカル選手は公務員という仕事をフルにこなしながら、コンディションを常に維持しつつ、なおかつ日本トップレベルを戦っているんですよね。

そうですね。自分の場合はずっとオヤジをみてきましたから。仕事があるからこのレベルで良いだろうというのがなくて・・・そのあたり自分はオヤジが基準になっているような気がします。

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・睡眠はばっちり8時間寝て練習2時間ですか?

睡眠はそこまで確保できていないかもしれないですね。6時くらいに帰宅した6時半ぐらいからに定時後に練習1-2時間して、夜9時頃になってしまうので、食べるのはその後になります。自分で作るときもあれば、チームでお世話になっている飲み屋さんで食べさせてもらえるので。よく行きます。

・家庭のお母さんみたいな料理を。

そうですね。肉じゃがとか。あと沖縄料理とか。おいしいです。ゴーヤチャンプルーとかフーチャンプルーとか。

・おいしそうだし、バランスよさそうでいいですね。家事に時間とっていたらきりがないですよね。

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そうなんですよ。あっ、飲むのが好きだから、おつまみを作るのを趣味にしてもいいかもしれない。人を呼ぶから、家も片づけるし。(笑)

・是非、おつまみの達人になって、居酒屋ヒカル(笑)やってみましょう。お客さん沢山来そうですね。

 

やりたいことが実現してきた環境

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・ブリッツェンのシクロクロスチームに、という流れ、職場からの応援の声、地元の応援を見ているとヒカル選手の人柄とか、普段の仕事への姿勢とかがあってのことなのではないかと思います。それが伴わないと周りも理解や応援はしてくれなかったでしょうし、自分で築いてきたものですよね。

自分がブリッツェンに入るときから、当時の社長に宇都宮でシクロクロスができたらいいねという話はしていたのですが、それがやがて実現している。それがとてもよかったと思っています。

・ヒカル選手が自転車が盛んな街のチームとご縁があって宇都宮にシクロクロスを導いてこれたという、良いめぐりあわせを感じます。宇都宮の豊かな自転車文化の一つとしてシクロクロスをもたらし、自らも選手として力が発揮できる。意義のあることですよね。

そうですよね。意外とやりたいことができてきている感じがするんです。

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(2016-17シーズン  みずほの)

・動いてくれる人が沢山いそうですよね。アイデアや計画を具体的に実行してゆける。

そうなんです。17-18シーズンは宇都宮で初のUCIレースが開催されますが、海外からの招待選手など、思い切った提案もしてみようかと思っています。驚くような人を呼ぶ話をしてもネタで終わらせないで具体的に検討するような人たちが宇都宮にはいます。

・末永く、やりたいことをいろいろと形にしてゆけそうな環境ですね。就職前後は悩みがあったかもしれませんが、ヒカル選手の人柄と、宇都宮という土地柄のマッチング、このポジションを活かしていけると可能性が広がりそうですね。

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そんな気がします。竹之内選手とは同い年で、仲がいいのですが、彼が海外に挑戦する部分を担ってきてくれて、自分は日本でシクロクロス競技の発展に貢献できる、そういう役割分担のようなものがお互いできたらいいね、と話をしたりしています。

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(了)

*1:Hikaru Kosakahttp://www.dewielersite.net/db2/wielersite/coureurfiche.php?coureurid=57429 ←ヒカル選手のパーマヘアの写真をウェブ検索してみたが、このベルギーの選手情報サイトでようやく再会できた。

*2:その後国内のラインナップから無くなったため、フレーム、ホイール共にボーマから個人的に提供を受け3年前はミヤタのスチール、2年前からメリダのフレーム。