tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

自転車選手から画家になった加藤一氏のインタビュー(Number誌1990年宇都宮世界選直前)

id:Petitfeministさまよりお借りしっぱなし(すみません年明けにならないと多分読みきれないと思います・・・)の90年サッカードイツ代表関連のビデオと雑誌「ハッピーパック」(マクドナルドか)をつらつら眺めていたところ、今日ふと、90年8月5日号のNumberで、ちょっと前にNacoさんのところに出ていた加藤一氏の生前のインタビュー(世界選が8月20日からだったので、直前)が載っていました。楽天が運営するポータルサイト : 【インフォシーク】Infoseek2005 年9月7日、8日



加藤一氏とは:

  • JCFのマークのデザインをした
  • 1990年に日本で開催された自転車世界選手権を招聘した立役者
  • パリで名の知れた抽象画家として活躍する前は自転車選手
  • 1947年から2年間で国体7種目(当時の全種目)に優勝、52年のヘルシンキ・オリンピックの候補になったら経済事情で断念、学士第一号の競輪選手となり、競技者団体設立奔走
  • 引退後はフランスに渡り画家になった。

以下、インタビュー内容:

「子供の頃から光とか風とかへのイメージへの憧れがあったんですよ。今でも競技者だった頃を思い出すと、頭に浮かぶのはコンクリートピストのグレーと、顔を上げたときに見えた、観客席のあらゆる色が交じり合って帯のように流れている残像なんです。それを描こうとし続けて」

  • 日本人は競輪のイメージが強いが、数ある自転車競技の1種目であることを今回を機にわかってもらいたい。そのため30年間執念深くやってきた。
    • 中野浩一が77年から86年まで世界選プロスプリント10連覇を果たした時代に日本で世界選をやりたかった。
    • 中野全盛期のあと、88年ソウルオリンピック橋本聖子の参戦は日本の自転車競技人気を盛り上げるチャンスだったがバックアップが足りずチャンスを潰した。
  • 昔はレース組織者ですら空気抵抗の凄さをわかっていなかった。東大の航空研の風洞にはいって実験台になった。風洞に入った初めての選手として、当時の科学映画に紹介された。
  • 絵を見た元米軍パイロットに「オマエは飛行機乗りか?」といわれた。ピストの上のほうは40度以上の傾斜があり、敵に後ろにつかれて上に逃げたとか、逃げる敵をこう追っかけたとか、自転車選手と飛行機乗りは話をするときに全く同じ手つきになる。

選手時代から選手のヨコの連帯を求めるかたわら、競技への理解に努めた

方のようです。


本、探して読んでみようかな。

画集は2003年度日本図書館協会選定図書のようなので、近所の図書館にもあるかもしれない。

【以下Nacoさんの記事にもリンクがありますが、一応】

・・なんとなく、競馬の世界を見事に文章で表現しているディック・フランシスを思い出しましたよ。一線級の選手だった人がそのスポーツの世界を別の形でも表現できるってすばらしい。