tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

ツァベルとポラックの人生交差点

ブレーメン6日間レース 最終日@結末は大波乱 - HONK de BONKくまたろうさんのところ経由

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www.cyclingnews.com - the world centre of cycling以前、ポラックが06シーズン終盤に来季のTモバイルの契約がもらえず、ほかからも声がかからず、愚痴ってたときの発言を思い出す。

「一番がっかりしたことは、05年、ゲロルシュタイナーからTモバイルに移籍して、ツァベルに戦術面の教えを受けられると思ったが、彼は自分からただ奪うだけだったこと」

・・・そうだよねー。
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おじさんの05年はTモバイルの中でも立場が危うかった。そんな中、たった3歳下にすぎず、野心にもえてライバルチームから移籍してきたポラックは育てる相手なんかじゃかった。

  • ツァベル、1年中ロードとトラックで走りつづけ、スプリンターなのに平地も山も走るタフさは以前から同様だけど、ちょっと前までは今みたいな素直な全開の笑顔とか、見られなかった。
  • 大掃除 - tannenbaum居眠り日記zzz2004年の年末大掃除で発見された、2003年のブエルタを見ながらツァベルを観察していた私のメモによれば、ポディウムでもちょっと笑っただけで話題になっていたし、笑うときも今みたいに毒のない好々爺(酷)みたいな笑いじゃなくて、片方の眉だけをちょっと上げてみたりとかだった。(←でもそれがイイかも。。。なんて思ってた。。)
  • この2003年よりもっと前から観戦していた先輩ファンによれば、ツールでマイヨヴェール連取していた時代は「勝って当然」系の傲慢でイヤな奴なカンジだったらしい。
  • それが、2005年のパリ〜ツールで勝ったあたりからは栗村さんに「カミングアウト」(笑)と指摘され、喜びを表情に出すようになってきた。テレコムでも以前ほど大切にされなくなってきて十分な強力トレインが組んでもらえない中、しょっちゅうファッサトレインに無賃乗車して、で、結局ペタッキに負けたりとか、辛いころだった。。
  • その後、ペタッキのアシストをしたりとか、ペタッキがチームを抜けたのでエースとしてがんばったりとか、過去のドーピングを告白したりとか、勝利はないけど、いつも3-5位くらいにはいて前のほうでフィニッシュし続けたりとか、、どんどん彼の環境は変わって、彼の表情もどんどんまろやかになって、日本のファンにも「おじさん」と愛されるようになっていった。

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  • 傲慢で、人を蹴散らすぐらいのほうがバンバン勝てる時期なんだろうけど。。
  • そんな時期が過ぎてもツァベルは心底自転車が好きで、勝ち星が取れなくなってもじゅうぶん第一線で勝負にからみ、冬場もトラックで6日間レースで休むことなく走りつつ、走ることを謳歌し続けていた。
  • 私もそんな姿が永遠に観られるような錯覚に陥っていたころ、引退を決意。

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  • 話戻って、上記のような不満をもって上の06年インタビュー当時は「俺は世間で一番過少評価されているスプリンターだ」「チームに対して、言いたいことを若いものに代わって発言してたらチーム側から煙たがられた」「こうなったら、トラックへの復帰も考えてる、俺はTTも得意だし」と世間に認められない憤懣を語っていたポラックはヴィーゼンホフ、フォルクスバンクと渡り、たまに勝ったりもしてたけど、09年はロードではどこかに所属しているか不明。04-05年あたりはロードの世界で有力スプリンターの表舞台にいたんだけど、今は日本のTVではほとんどみられなくなった。。。
  • でも、言っていたとおり、トラックの世界に本格的に進出して今はマディソンでは世界的な選手になったし*1、6日間レースでは強豪たちの仲間入り。
  • 今のポラックの目標って何なんだろうか。とっつき悪い偏屈なカンジだし、インタビュー記事とかあんまりなさそう。。。

そんなわけで、冒頭のビデオをみて、、今の二人の人生の交差についてあれこれ思ったわけです。

(マリアローザを着ていたとき彼は、のちに6日間レースで優勝争い中のマディソンで鎖骨を折るなんて想像してなかっただろうな。。お大事に)

*1:世界選のポディウムで、カヴになれなれしく話しかけられても無視していたのが興味深かった