tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

終らない悪い夢

娘の仲良しの友達のお母さんの実家のある町は、震災で被害を受け、町が半分壊滅したらしい。震災後しばらくして、実家の手伝いに行っていたとか。実家のある地区は幸い直接の被害を免れ無事だったが、昼間だったので、その町内の住民でも出かけていた人が多く、あの人の家は誰々が行方がわからない、ここの家も誰と誰が、、という話があまりにもそこらじゅうに日常的に出てくるので、いちいち大きなリアクションをしていたらきりがないので、そういう町内の話題を伝達するのに淡々と話すしかないのだとか。何か悪い夢の世界にいるようで、いつか目覚めたら全部元通りになるんじゃないかと今でも思うと話していた。
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さて、仕事で10年近くお世話になっている業者さん(前の職場時代から)。担当の人とも、もう長い付き合いで、一緒にピンチもチャンスも乗り越えてきた。基本、どんな事態でも75%以上は張り詰めない、のほほんとしたキャラのおじさんで、テンパっているところを見たことがない。恐ろしい場面でもどこか癒し系、駄目そうなケースでものらくら粘り逆転、と何度救われたことか。

  • 震災直後の3月末に、その会社との飲み会が設定されていたが、震災の翌週社長さんから電話があり、その例の担当者の実家が、両親と同居していた長男のお嫁さん以外みな行方不明で、現地に駆けつけることもできないのだという。彼の実家は宮城県の沿岸部の町。魚介類がそれは美味しいところだ、と何度も自慢話をしていたのを思い出した。当然飲み会は延期になった。
  • 話を聞いたときには自分の立場で泣くのはおかしいと思いつつしばらく涙が止まらなかった。
  • なかなか一般人が現地入りできない状況だったらしいが、しばらくして、お母さんの遺体だけは見つかったらしい。お父さんとお兄さんは不明のまま。

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  • 先日、とりあえず彼も元気に仕事はこなしているし、いつまでも延期ではいけないので、飲み会実行しましょう、と社長さんから連絡があった。
  • 2ヶ月半延期の飲み会。こちら側の上司と私、先方も社長はじめいつものメンバーが集合。
  • 社長さん「当初、彼の思いを考えると、社員一同(10名程度で20年間同じ社員で出入りなし)どう対応していいかわからなくて、一体何をしてやれるかと途方に暮れたが、彼も自分の足場としての職場がしっかり元通りで仕事が回っていることが支えになると思い、一定時期が過ぎたら自分たちも前と同じように馬鹿話をしながら毎日が過ごせるようになった。今でも彼は突然熱く語ったり、あきらめていないだとか、いろいろ言うが、とにかく聞いてやることにしている」。
  • 本人は、以前とかわらぬまったり口調で私をみて開口一番「なーに、さいきん連絡くれないけどどうしてたのー?仕事まわしてよぉ」と言ったが、顔には、以前にはなかった色々なものが刻まれて老けている。「実家がねえ、流れてなくなっちゃったよお」とぽつぽつ語った。それまで知らなかったけれど、長男夫婦のお子さんは、一人残ったお嫁さんの腕の中に居たが、結局水の中で離れてしまい、それきりだったと。必死で両腕で抱えていたけれど、水流がきつくて苦しくて、、と身振りを交えて、長男のお嫁さんの話を再現。被災した関係者から直接こういう話を聴くのは初めて。なんと言うべきなのか判らない。
  • 社長さんは彼の聞いていないところで私に「これまでほかにも親の死に目に会えなかった社員は2人いたけれど、いつどうやって死んだかは判ってる、今回の彼の場合はいつまでたっても区切りがつけようがない」と言っていた。まだ、彼は完全にはあきらめていないようなことを何度も言うらしい。
  • しかし彼は20年も同じメンバーで良いチームワークで過ごしてきた仲間たちがいて心配してくれて、自分の足場がしっかりしていて良かったと思う。

2時間ちょっと、かなりのペースで飲んで、肩を叩き合って別れた。上司1は涙ぐんでいた。こういう話が数え切れないほど被災地で発生したという事実を、いまだに飲み込みきれない。