tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

Pujolの詳報はこちらで↓

2012-04-24 - tannenbaum居眠り日記zzz←昨日の記事の続き。
2012-04-04 - tannenbaum居眠り日記zzz←その前、アザド大学チーム入りを決めたときの記事。

いやー、スペイン語のオンライン英訳ではわからなかったこと(Pujolは結構活発にFacebookで活動してるが、オンライン訳でもスペイン語の口語は英訳してもよくわからない。。)がNacoさんのところできちんと記事になってますので、こちらをご参照のほど(ここを見る人は先にNacoさんのところを見ているでしょうが、念のため(笑))
FACEBOOKでチーム入りが決定/ 浪人時代のせつなく苦い思い : Mas Ciclismo News
しかし、下の記事のデニフルと二人、サーヴェロ・テストチームのフレッシュな若者二人(二人で交互に波状アタックしたときもあったっけ。。)で、私のお気に入りだったのだけれど、ずいぶん今は立っている場所が違う(片やグランツール出場、片や浪人、、ようやく脱出も、元いた場所にはほど遠い)ことについて色々考えさせられる。プジョルは昨年ほとんど実績が挙げられなかったことが今年所属がみつけられなかった原因なんだろうけれども(よく追っていないのでもっといろんな要因があったのかもしれないけれど)、時代がもっと順風だったら、、とか色々思う。それでも続ける勇気に、今後の彼になんとか順風が吹くことを祈ってしまう。

  • 話は違うけれど、義姉(外資系航空会社の客室乗務員)の会社が一時期米国のチャプター11(日本でいう民事再生法適用に近い)の手続きに入ったとき、成田ベースの従業員は解雇。それでも会社に居続けたい人は、客室乗務員以外の職種(営業職など)への異動か、客室乗務員を続けるならアジアのほかの国に転勤(いままでの社歴メリットを全部放棄した、新入社員として)かという選択だったようだ。同僚は辞めたり、営業に回ったりした人も多かったが、義姉はシンプルに「飛ぶ仕事が好き」ということで、アジアのほかの国のベースで新人扱い(フライトの選択優先権などがない)から再出発した。

こういう逆風の時期にこそ、その仕事への愛着の度合が試されるという見方もあるかもしれない(いろいろな要素を考慮して、自分の人生をみつめなおした結果その仕事を離れる選択ももちろんありと思う。)