小坂父の決死の表情と第一回シクロクロス全日本選手権(96年)
- 今回はシクロクロス回顧編(突然ですが)。
- きっかけは、一枚の写真から。いや一冊のバックナンバーから。
- シクロクロスについて | AJOCC 一般社団法人日本シクロクロス競技主催者協会←シクロクロスの歴史と日本への導入について、基本おさらい。
- 先日、シクロクロス東京の日に再びお会いすることになった「鬼」佐宗さんから見せていただいた96年のBYCICLE CLUB。
- この写真は「'95-'96シクロクロスシーン特集」と銘打って相当なページ数を割かれた特集の冒頭を飾っていたもの。先頭は小坂正則さん、後ろは関谷晃一さん。
- 小坂父に注目。バイクをやっとのことで押している。もう、前に進むのは気力のみという迫力に息をのむ。
- このあと小坂父はどうなったのだろうか。。
No.79-b←伝説のTune Up Press。
- 1996年1月14日原村。シクロクロスミーティング最終戦兼第一回シクロクロス全日本選手権。小坂、大原の死闘40分ののち、残り2周で小坂痛恨の落車リタイア。。とある(詳細は上記リンク先でMillet.Kさんの名調子でお読みください)
- 小坂父は落車で脚を痛め、もう舗装路でも乗れない状態。それでも歯を食いしばり前に進もうとしている。
- しかし、結局この写真のシーンのあとリタイアしたのですね。。
- 撮影されたのは井上六郎さんだそうです。
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【追記 このとき直後を走行していたという須藤大輔(スドーマン)さんより情報をいただきました。どうもありがとうございます。】
96年のccm原村。第一回の全日本選手権。このちょっと後ろくらいを走っていたのですが、ゴールへ向かう舗装路が一部アイスバーンになっていて、転んだあと再び走り出そうとしているところではないかと思います。勝ったのは大原さん。佐宗さんは4着。古賀さんをクローズアップしたNHKの番組でも放送されました。
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- 冒頭の写真をフェイスブックに貼ったところ、当時はまだ小さくて自転車に乗れないぐらいだったかも、そんな人と今いっしょにレースで走っているなんて、というカテゴリー1の若い選手のコメントや、関谷さんご本人からも反応が。
- 当時から走りつつけている人はどれぐらいいるのだろう?という問いに対し、カテゴリ−1で走り続けている選手として小坂正則(父)、澤田雄一(日本代表チーム監督)、澤田泰征(「でんか」)(以上敬称略)の名前がMillet.Kさんから挙がった。
- カテゴリーを上下していたり、いったんシクロクロスを中断した人も、今またカテゴリー1で走っていたり。というのを入れると、またずいぶん人数は増えるでしょうか。
- このところ、昔とった杵柄でレースに戻る古つわものもいると聞きます。
- 様々な世代の人生が交差するシクロクロスのレース会場。。。
- ところで、ビールと共に貴重なお話を伺うのは、大変楽しかったのですが内容についての記憶が(というか、その時も話の内容を理解していなかったような気も)、、、
- つぎは素面できちんと居ずまいをただして、お話を伺いたいものでした。どうもありがとうございました。
※昨日間違った昨年の写真を貼ってしまった記事の差し替え版はこのあと着手しますのでお待ちくださいm(__)m