tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

表彰台ウォッチャー

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これまで私は、表彰台はこうあるべきという認識はなく、ただ見ていた。台が土管みたいで吹きさらしであろうが、仮面ライダーショーみたいであろうが、子供や犬が抱かれてたり、何を着て何を装着していようが、もっぱら悲喜こもごもや感謝・遺恨の気配、家庭環境等をかいま見るなど、三面記事的に楽しんでいました。表彰式という仕様がほぼ固定された短いセレモニーの狭間に見え隠れするドラマ。
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先日インスタグラムてみた投稿。

New bike race promoters, I made this for you.

In The Crosshairsさん(@cxhairs)が投稿した写真 -

米国のcxhairさん(SVENNESSのビデオ作っている)は非欧州圏きってのシクロクロス観戦サイト運営をしているご意見番であるがIn The Crosshairs – The Cyclocross News Source、初心者レースプロモーター向けの示唆として、かれの考えるポディウムのあるべき姿を簡単な線画で提示した。これがけっこう反響を呼んでいる。

・2位と3位の位置: 向かって左が2位、右が3位。(違うことってあるのか。。苦笑。4、5位の表彰台ありレースも画像を検索するとけっこう出てくるし、台がなくて1-3位の両サイドのに4、5位の選手が立っていることも。)

・腕: 中央の優勝者は肘を曲げずにまっすぐ両腕を掲げ、左右の2位と3位の選手はそれぞれ外側の腕を掲げるべき。隣の選手の顔を隠すことがないように。(自分も写真を撮っていて、ああ顔が見えない、と思うことがあるので、選手の方たちはちょっと気にかけてもらえると嬉しいかも。このパターン以外にもよい腕の掲げパターンはあるかもしれないけど。)

ポディウムバイクなし: 1位の特権、とばかり思っていたので驚いたが、2位と3位の選手の機材スポンサー側からすれば1位の選手のバイクのみが写った表彰写真は撮ったり使う気がしない。ポディウム仲間の選手は("podium fellow")、レースキットをまとった身一つで、お互いリスペクトしあい、栄誉を分かち合うべき、という意見らしい。(これには異論が沢山ありそうだけどレースプロモーターへのアドバイスとしては表彰台写真をより広範囲に喜ばしく拡散するという観点も?)(こういう場面で平等とか必要なのかな?)(画像検索すると、表彰台全員のバイクが立てかけられた写真もあったりする。。)

ところで、「リスペクト(敬意を払うこと)」、そういえばUCIレースのスタート前にチーフコミッセールが常に口にする言葉ですね。「お互いにリスペクトし、安全なよいレースを。」←こうでしたっけ?

ここに書いたほとんどは新米レースプロモータ向けの表彰台のセットアップ方法についてインストラクションである。2位と3位の台は確実に正しい側に設置されねばならない。他の点についてはすべて、他の選手への敬意に関するものだ。自分の腕がほかの選手の顔にかからないようにし、バイクをもちこまない。これが敬意をもった表彰式というもの。プロやアマを問わない。自分は観戦者だが、誰かのすばらしい業績(表彰台に上ったこと)が他の選手の肘によって台無しになってほしくないと思っている。

ヨーロッパは具体的な敬意の表し方について他の地域よりも厳格な運用があるようだし、他の国にもいろいろな背景や言い分、文化的なものがあるだろう。具体的な各論は別として、他者への敬意、レースへの敬意という発想がつねに皆の根底にあれば、より気持ちのよい表彰台が増えるのかもしれませんねー。。
今一般に通用しているルールや様式やマナーも言われたから守る、叱られるからやらない、というのではなくその根底に流れるスピリットを踏まえたうえだと本人たちも周囲も前向きに柔軟に振る舞えるかも知れない。
私も三面記事的な好奇心オンリーを脱し、そこにリスペクトが感じられるのか、という観点からも表彰式を味わってゆきたいと思います。。。ということを再認識させてもらって有難うございました。という記事でした(苦笑)

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(厳密なルールにのっとっての話ではなく個別の各論はよくわからないのでご了解ください)

(文脈はなれた余談)
ポディウムでほかの選手の顔を隠していたケースはこれを思い出す。2009年ミラノ~サンレモ。
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ハウスラーが逃げ切り寸前、後ろからやってきたカヴェンディッシュに数センチの差で差されて、ゴール後倒れこんて起き上がれず泣き崩れた、カヴも嬉しくて涙が止まらない双方涙涙の表彰式で、カヴが、ハウスラーの顔を大きな花束で覆い隠してしまっているのにもまったく気づかないで自分の喜びの涙に浸り、ハウスラーも花束に顔をつつかれていても反応せず失意の表情、お互い自分の感情の渦が激しすぎて何も見えなくなっている状況で、あれはあれでそれだけ悲喜こもごもがはっきりしていてどこか微笑ましかったですけどね。
選手の顔全員バッチリな表彰台写真を撮る必要があるカメラマンたちはハラハラしていたかも。