tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

サルとトドのオランダ・ベルギー珍道中 (その1) モリタロウは見た!本場のレース(前編)

2015年12月24日から2016年1月4日まで、オランダ・ベルギーのレースを走って来たフリッツェンチームの中間森太郎選手と池本真也選手の二名。
10代の頃から代表チーム時代も含め10年近く現地に通っていた池本選手(37歳)と、海外レース経験が35歳にして初めての中間選手の組み合わせ、そして、ナショナルチームという形ではなく個人参戦、日本からの同行スタッフなし、という近年見られなかった形のヨーロッパへの個人挑戦ということで、帰国したお二人に私がインタビューしてまいりました。海外経験も体型も対照的で「サルとトド」とも呼ぶ人も居る(苦笑)組み合わせの中間さん、池本さん、ご協力有難うございました。
(本文中の写真は池本さん(一部荻島美香さん撮影)、中間さん、松井さんご提供、過去の国内レース写真は私が撮影したもの。)
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【一人目:モリタロウ(前半)】
1.笑顔の裏。
[FacebookInstagramの二人の投稿を見ると、遠征は楽しかったようですね。]
・チームのスポーツディレクター(足立氏)から積極的にSNSに写真をアップするようにという指示があったのですが、写真を撮る余裕があるのは楽しいときだけなので、結局楽しい写真をたくさんアップすることになりました。レース前後の写真は自分たちでは撮れませんし。楽しいだけではなかったのですが、遠征したことは本当によかった、忘れられない体験になったと思っています。
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2.到着の 出鼻をくじく レンタカー
・オランダに到着したのはクリスマスイブの夜でした。クリスマスで営業時間の変更があったのか、予約しておいたはずのレンタカー会社の受付がクローズしていました。池本さんが空港のインフォメーションセンターの人に聞いたほかの場所にたまたま来ていたその会社の送迎車が出ようとするところを走りながら大声でようやく呼び止め、スペースがないので二人分は乗せられないというのを無理に座席に自転車を抱えて乗り、自転車4台含む大荷物ごとなんとか移動、車を借りたところ、小さすぎて二人分の荷物が入らず、さらに池本さんが交渉し大きい車に変えてもらったのですが、それが、ダチアというふわふわするルーマニアの自動車でした。
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・その車が今回のハイライトともいえるDiegemのレースの前日にパンクしてしまいました。スペアホイールなしでDiegemに行くのは危険ということで結局、サポートの70歳代のハリーさんが片道350キロもの距離を運転して送迎してくれることになりました。
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・空港でのレンタカー事件は旅の出だしだったのもあり、自分は交渉していたわけではないのに気持ちがへこんでしまいそうでした。自分ひとりだったら、予約した送迎車が来ないというだけで、よく分からずそのまま空港で夜明かししていたと思います。
・帰国は自分は池本選手よりも一足先だったので、1人で空港脇のホテルに泊まって帰るはずでしたが不安だったところ、シマノの松井さんが出発前日自宅に泊めてくれて、空港まで車で送ってくれました。今回の遠征はサポートの方々の協力に恵まれ、無事に遠征を終えられた自分は本当に幸運だったと思います。
・ちなみに、海外経験は結婚式で行ったハワイのみです。
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3.サポート体制
・今回の遠征のピットはハリーさんが全部入ってくれました。DiegemとLoenhoutには荻島美香さん、Diegemにはシマノ駐在員の松井さんが入ってくれました。また宿泊先はオランダで以前日本チームが宿にしていた元オランダナショナルチームマッサージャーのヒュープさんの家でした。
・そのほか、Diegemでは竹之内選手と、竹之内選手のスタッフであるランジットさんに駐車スペースを使わせてもらうなどの便宜を図ってもらいました。
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(今回の遠征ですべてのレースのサポートをしてくれたハリーさん。)
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(元全日本チャンピオン、マスターズ世界選チャンピオンの荻島美香さん)
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(赤いジャケットが松井さん。このスペースをDiegemの時に仕えたのは竹之内選手とランジットさんのお陰。)
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(確かに、Rabobankのバスの隣。)

4.カテ1選手までの道
[競技を始めたころのことや、現在にいたるまでについて話をお願いします。]
・運動神経は悪くなかったけれども特別なことはしていませんでした。中学の時に陸上競技部で中距離選手でしたが、何かの部活に入らなければいけないから所属しただけで特別練習に打ち込んだ記憶はありません。試合の緊張感が嫌で練習はでてもいいけれど大会には出たくないと5回くらい先生に直訴した記憶があります。
・大学生の時にオートバイを始めたかったのですが資金が足りないのと親に止められたのでマウンテンバイクを買ったのが競技に入るきっかけです。2、3年でJapanシリーズのエリートになり、その年にシクロクロスも始めました。
シクロクロスを始めたきっかけは、小坂正則選手を見たことです。大きいギアで踏みつけてゆくスタイルが恰好よくて一緒に走れたらいいなあと思いました。当時トップは辻浦選手、小平選手が対抗馬でした。全日本には間に合わなかったものの最初のシーズン中にカテ1に上がりました。全日本の直前のカテ2のレースで昇格できず残念だったのですが暫くレースを休んでいた鈴木雷太さんが出てきてしまったんです。自分以外全員ラップされてしまいました。その次のレースで上がれたのですが。
・当時出入りしていたショップ(三上和志さんのショップ3UP)と周囲の人たちに励まされたり、サポート7及び援助をしてもらいながら転戦を続けステップアップできて、継続して頑張れたように思います。その後大学生の間に「チーム埼玉県人」というショップベースではないチームを山辺氏、日向氏らと結成しました。
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(私が中間選手を初めて見た頃の写真、GPミストラル2010-11シーズン)
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(2011年 GPミストラル第5戦にて)
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(2012年 GPミストラル第5戦にて)
・そのころ出ていたのは、当時シクロクロスミーティングと呼ばれていた信州クロスです。当時の藤森クロスの一貫した姿勢は、世界を目指すというものだったので、いつかはヨーロッパの本場のレースを走りたいという思いは当時皆が持っていたものだったと思いますし、自分もその後もずっと持っていました。今回の遠征についてこのチャンスをぜひ生かしたいという気持ちになったのは信州クロス時代のそういう下地があったからだと思います。
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(2012年 信州シクロクロス 霧ヶ峰にて)
[近年はシクロクロスに絞っているようですが。]
・子供との時間もとりたかったし、自転車にかけているものを減らす選択をする時点でクロスを選びました。MTBは機材の更新が激しいので。

5.モリタロウはどんな選手?
[どんなコースが得意ですか?好きなレースは。]
・ギリギリ乗れるか乗れないかぐらいの少しテクニカルで重いコンディションのコースが好きですね。全員は乗っていけないような。ハイスピードでカラカラなコンディションのところは好きではないです。マキノとか。14-15シーズンの全日本選手権の会場になった菅生は自分向きだったと思います。高低差が大きいセクションもあったのでコースの全部が好きということではありませんでしたが。コンディションが悪いのが好きというのは、前もって選べないところが難しいです。
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・今回のオランダ・ベルギー遠征は例年になく暖かくてドライだったんですが、今シーズンは膝の故障で自分のコンディションは良くなかったので、たとえ今回路面が重いコンディションだったとしても、もっと差がついていたのではないかと思います。
[その菅生の全日本選手権の前、リラックスしたムードで氷点下直前の気温のなか、アイスコーヒー飲んで談笑してましたよね。]
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・レースの前は普段通り過ごしたほうがよく、あまり特別なことをしないほうが結局いいということに最近気づきました。以前は緊張がすごくて、ピリピリしていたんですけれども。近年メンタルトレーニング関連の書籍などを読んで克服できたように思っています。たくさんレースに出て場数を踏んだのもあるかもしれません。
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[体型は以前と変わったのですか?]
・あまり変わってないです。

6.働くパパの海外遠征
[小さいお子さんがいるサラリーマンが1週間以上家を空けたわけですが、大変じゃなかったですか。]
・妻は大変だったと思います。共働きで、息子は保育園児です。普段は保育園の送迎は行きは自分が送っているのですが、不在中妻は行きも帰りもどちらもしなければなりませんでした。ただし息子は3日間スキー合宿で不在でした。
・今のチームに替わって海外遠征の話が出てもなかなか妻に言い出せませんでした。一方、金額や日数が具体的にどうなるのか分からないと妻に説明できないと思ったので行くという前提で池本さんやチームメイトでベルギー駐在員経験がある根本さん等から色々な情報を集めました(←綱渡り)。
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(インタビュー時のサラリーマン姿の中間選手:Mile Post Pro Bike Shop http://www.milepost.jp/にて。)
・そして、10月頃ようやく妻に話してみると意外と、「いいよ」と言ってもらえました。妻はレースに興味があるのではないのですが、今回も遠征に行ってきて、すごく楽しそうな自分を見て、また行けば?と言ってくれています。妻はさっぱりした性格なんです。レースはお台場や野辺山、先日のろまんちっく村などは子供と見に来てくれました(←嬉しそうな表情)、
[普段の練習や遠征で家をあけることがかなり多いことについてはどうなんですか?]
・けっこう色々いわれてますよ。むずかしいです。。(←言葉少な)。
[息子さんはお父さんがレースで走っているのを見てかっこいい、って言ってくれますか。]
・はい、でも遅いけどね、と言われます(苦笑)
・職場では、年末にまとまった休みを取るのは前代未聞で、やや波紋があったのですが、妻が二人目を妊娠していてこの後旅行になかなかいけなくなるので、と説明したところ、うまいこと誤解してくれたみたいで(笑)あとで結局わかっいてたような感じもしますが。
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7.家族に遠慮、職場は前代未聞、チームメートは苦言。それでも行きたい。
・今シーズンの年末年始、遠征を希望するか?池本選手は既に遠征することは決めているが、彼を案内役としてあてにすることはできない前提だが。という話がスポーツディレクターの足立さんから出たとき、藤森氏のシクロクロスミーティングでクロスを始めた自分は海外を目指したい気持ちはずっとありましたので、このチャンスをぜひ活かしたいと思いました。アメリカやその他の国というよりもシクロクロスの本場で走りたいと思っていました。
・既にオランダのナショナルレースへの遠征を決めていた池本さんに、一緒に行かせて下さい、とお願いしたのですが、厳しい話がありました。「受け身でいれば連れて行ってもらえるような甘いものでなく、全て自分で手配ができないといけない、また、選手としての取組姿勢も現地では厳しく周囲の人々から見られることになるので観光したりビール飲むような要素は皆無である」等と言われました。池本さんからは「いいよ、一緒に行こうぜ!」というような言葉は結局言われずじまい(苦笑)でしたが、それでも走りたいという気持ちがあれば行くべき、という足立さんからの言葉もあったので、行くことに決めました。
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(Mile Post Cafe http://www.milepost.jp/category/1994731.htmlは隅田川の夜景が眺められ、料理もおいしく、よいところでした。)
・ところが、いざ行ってみると案内人役はしないと言っていた池本さんはさまざまな面で気を使ってくれました。オランダ人の同世代の友人たちにサポートしてもらうという選択肢もあったところを、自分のために日本語が通じやすい方々(荻島美香さんやハリーさん)に声をかけてくれました。叱られた場面も何度もありましたが。また、自分は語学ができないですが、自分からも話せ、言ってみろ、と話す経験を積むように何度も仕向けてくれました。
[シーズン中、けがで休んだ時期もあったりして、私も本当に行けるのか心配だったのですが、決行しましたね。]
・猪苗代のレースは好調に走れていたのですが、その後もともと痛めていた膝が悪化して歩行困難になり、1か月自転車に乗れませんでした。その後も調子は上がらない状態のままで遠征になってしまったのが残念です。
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8. パワーマックスによるトレーニング
[今回の遠征でスピードが必要というのを感じて、今後のトレーニングについて何か考えていることはありますか。]
・これまでもバイクぺーサーをしてくれる人はいますし、去年からお願いしているのですが、チーム埼玉県人に在籍している芝田さんという競輪選手が自分のパワーマックスというエアロバイクのようなトレーニング器具を貸してくれ、メニューも組んで指導してもらっています。負荷が変更できて、心拍に合わせて色々設定やメニュ−を変更します。ただ理論というより、やってもらっているのは3−4時間かけての体育会系指導ですね、掛け声をかけられながら。自分でお願いしてやらせてもらっているので、帰りたいと思うほど辛くてもやめられないです。
・芝田さんにはペダリングについても教えてもらっています。こぐときに骨盤を動かすという練習をしています。上半身を動かさずに、骨盤を高速でグルグル旋回させると競輪選手のようにもがくことができます。骨盤が動くようになれば、ペダリングがもっと「ぬめっと」なる(コンディションが悪い時、疲れているときでも骨盤を使ってこぐことができる)、上半身と骨盤の連動がうまくゆけばもっと力強く速くなれるようです。

9. 続ける原動力
[体育会系でなかったモリタロウ選手が、帰りたいと思いながらも競輪選手に稽古をつけてもらうような辛い思いをしてまで続けているのは何なんでしょう。楽しい点というのは。]
・楽しくはないです(笑)満足したいからでしょうか。満足というのは、よい走りができるかどうかという点についてです。満足できる走りに結果がついてくると。もっと満足したいと思うことが原動力になって走っている感じ。
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・たぶん世界チャンプになれるぐらい速くならないと満足しないから、ずっと満足できることはないと思いますが。
・人と競うことが目的ではない。相手がどう、というより、一秒でも早くゴールしたいという本能がベースにあって走っているので、かけひきも得意ではなく、うまい人にいいように使われてしまうんですよね。
・最初はマウンテンバイクで遊んでいるだけだったんですけどね。一年には1度ぐらいは今日はよかったなあ、と思うことがあるんです。
(次回、遠征話の核心に迫る、また、主婦にも有益なオランダ流すっきり片付け事情)