tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

ハモンド「脚以外は全部揃っていた」(パリ〜ルーべ)

「Gent-Wevelgemの成功とパリ〜ルーべでのコンディションを交換するつもりはない」

HAMMOND_I_HAD_EVERYTHING_BUT_THE_LEGS
水曜日のGent-Wevelgemでのチーム戦略的中とガッツあふれる走りで大きな結果を出したハモンドですが、本人の一番愛するレース、パリ〜ルーべでは55秒遅れの7位におわりました。

  • 100km以上逃げた水曜日に引き続き、パリ〜ルーべでも序盤からずっと逃げグループにいてのこの結果は認められるべきなんでしょうが、本人は「Gent-Wevelgemのツケがまだ残っていた。80-90%のコンディションだった。」と言っていたようです。
    • 「かといって、Paris-Roubaixに100%のコンディションで臨めたとしてもそれを水曜日の結果と交換するつもりなどない。100%で臨んだってこのレースでは何が起こるかわからないし、Gentのレースはもう手中にしたものだ。」

(レース経過について)

  • 第一追走集団(グループフレチャ)からアーレンベルグの石畳区間終了後のアタックで一旦千切れたが、残り30km、オグレディとともに追いついた。
    • オグレディは追いつくと同時にさらにアタックしたが、自分のタンクは空っぽになっていた。
    • (放送ではレース展開が砂煙でわけわからなくなりそうなところ、突如西部劇のヒーローのように砂煙のなかから忽然と現れたオグレディは、そういう経過で前にあがったのですね:ちぎれた第一追走集団の後ろ半分グループから、ハモンドと共に飛び出し、前半分グループにおいついたところでさらにアタック、そのまま逃げの二人もパスして先頭に躍り出たのでした。ハモンドがいつのまにか第一追走のフレチャたちと一緒になっていたのには驚きましたが、彼はそのときに消耗しきっていてずるずるそこから落ちていくところを、後方から追撃してきたボーネンと合流したと。)
  • 石畳が始まったころにパンクして、ニュートラルからホイール交換を受けた(5気圧)。それがよく合わなかったらしいが、ルーべではそれ以上交換を受けるチャンスがなくて、最後までそれで走った。

そうよね、水曜日のあの展開とチーム勝利はかなりのインパクトと周囲への影響がありました。ルーべが目前だからってあれを逃すわけにはいきません。ヴェゼマンだって36歳でポディウムに上ったのだし、40前の選手だって走っていたパリ〜ルーべ、まだチャンスはあるよロジャー。

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  • ボーネンがメイン集団から驚異の単独追走を開始したときは、どうなることかと息を呑んだ、ハモンドとフランツォーイをつれてフレチャたちに追いつこうとしたが、2人はもうほとんど売り切れ状態。。ボーネンも彼らをパスするほどのパワーはなかったのか、、、、

(追記)CNにフランツォーイのコメントも載ってましたね。ボーネンに引いてくれないかと頼まれたとき*1にはもう力がのこってなくて彼についていくのがやっとだったとか。先日のロンデでも逃げていた記憶のあたらしい24歳の彼もまたシクロクロスの人で、この冬には長距離に耐えられるようなトレーニングをしたようです。ゴール後崩れ落ちる彼の姿がCN写真集にも載っていました。
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  • 今まで気づかなかったのですが、ハモンドの能力を買ってくれているトリスタン・ホフマン監督(前CSCの選手、監督)は2004年パリ〜ルーべが2位、ハモンドが3位になったとき彼の前でゴールした選手だったのでした。

*1:お尻をさわりながらもちかけてしたね。笑