tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

英Guardianにロジャー・ハモンドの記事


Cycling: Hammond handles his personal hell | Sport | The Guardian
パリ〜ルーべのゴール直後の様子の記述。

砂埃まみれな過重労働の炭鉱夫のような姿で彼は地面に崩れ落ちた。トレーナーがやってきて一本の缶入りファンタを渡すと飲み干した。話すことができない。
ブルクハルトがやってきて順位を尋ねると"Sept"(7)と囁くように答えた。
そこらじゅうの選手たちが苦痛の中にあった。ある者は痛みではなく疲労のあまり泣いていた。他の者は母親の腕で弾む幼い娘の瞳を見上げて話そうとするが、彼の唇からは声が出てこない。

誇大な宣伝も、きらびやかな装飾も、華やかなセレブリティも存在しない。このときばかりは、競技自体が雄弁に物語っていた。

うお、いつも読みなれている"How it unfolded"的な記事とはちと書きぶりが違いますわ(ちょっと"Number"っぽい?)。。あのGuardian紙にロジャーが取材されていたのですね。それもルーべの前後密着取材。。記事は長く、一般読者向けである分、自転車競技に関して興味深い角度で書いてあります。


=======しかしとりあえず、ミーハー方面情報をピックアップ(笑)========

  • 英国よりベルギーでのほうがロジャーは有名。ヘント〜ヴェヴェルヘムの2位のあと、ベルギーの自宅付近には40-50名の人々が祝福に集まり、地元警察署長が出動するほどであった(母国の英国に帰れば、フル装備の(Tモバイルの?)自転車で自転車ショップに立ち寄りスパナを借りても、「そこで足ぶつけんなよー」程度の扱いらしい。)
  • 6歳で初めてみたパリ〜ルーべに感銘を受ける(たしかこのとき、自分はいつかパリ〜ルーべを勝つ、と食卓で宣言したはず)。自転車競技は8歳から始めるが、16歳まで将来有望なサッカー選手だった。太ももの筋肉を傷めてサッカーは断念。その後シクロクロスでジュニアの世界タイトルを獲得し、スポーツ選手で身を立てる希望を持つ、しかし安全のため学位も取得。
  • フィアンセはタラさんといって産婦人科医。Tour of Britainで医療スタッフとして駆出されていた(ボランティア?)のがきっかけだったらしい(以前のガールフレンドと名前が違う)ポディウムガールをつかまえる選手の話は聞くけどまさか産婦人科のお医者さんをレースでつかまえるとは。。。