tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

映画「行け、ラペビー」みてきました


強引に行ってきちゃいました(苦笑)
真赤なクロモリのラレー(一部クロームメッキ)をぴっかぴかに磨いて、コーディネートするかのように赤いサスペンダーがポイントの黒いサイクルジャージ姿のお爺ちゃんが嬉しそうに自転車をこぎ続けるシーン。その合間に1930年代彼がツールを勝った時代のレース映像や、この映画が撮影された1980年代後半のレース風景が。

  • ラペビーさんは週に300km走るとか。77歳も大変均整のとれた体型。1930年代以来菜食主義だとか。酒煙草やらないと。うーん、そうするとこんなに素敵に老いることができるのか。
  • 自転車がとにかくぴかぴかなのが嬉しいらしい。本当にぴかぴかだ。以前はよく寝室にもって入っていたとか。
  • 彼がツールを勝ったのは1930年代。それを回顧する彼は「ベルギーに勝った」という言い方。そうか、当時は国別チームだった。で、チューブをたすき掛けして自分で修理しながら走らなくてはならなかった時代。当時のレースビデオをみると、砂ぼこり舞い散る山道を走ってる。いやー本当に厳しそう。
  • 勝利してインタビューを受ける当時のラペビーさん。若い(当たり前)威勢のいいタフガイ、という感じ。
  • ラペビーさんがルーベの名誉市民として表彰される式典で、プレゼンターが「彼はパリ〜ルーベを勝った」というが本人は淡々と「勝ってない」と切り返す。なんだ、勉強不足な紹介の仕方だなあ。。と思った。
  • しかし、彼は「勝って」いたらしい。ある年のパリ〜ルーベでパンク(当時はチームカーが交換なんてしてくれない、というか自転車交換不可)、最初は婦人用自転車で走り、その後道端でみつけたドロップハンドルのスポーツ車で先行の選手に追いつき、先頭でゴール。しかし、自転車の持ち主が、彼は交換した自転車で勝ったと申し出をしてきて、彼は勝利を剥奪されたのであった。
    • その話を淡々と語る彼の話にオーバーラップして楽しそうに赤いラレーで走るラペビーさんの画像から切り替わってゴール地点で泣き叫ぶ彼の写真が。
    • ルーベ市のプレゼンターはそれを知ってわざと「勝者」といってみたのかなあ。

とにかく、彼が赤い自転車で走る姿を淡々を映すシーンが多いのだけど、映画のほうもとくにあおるようなキャプションも流さず、でも幸せな光景なのであります。

  • 最後、海辺に自転車とともに立ち、昔はポルシェや船を持っていたこともあった。でもすべて失った。自転車だけが自分に残った、というようなことを言っていた。ツール勝者として光も影もいろいろ見てきたんだろう。でも最後は自転車に乗って死にたいと。彼の穏やかな表情の裏には様々なことがあったんだろうけれど、とりあえずはすごくしあわせそうなおじいちゃんなのでした。
    • レース会場で相当高齢な老人が「わたしは当時あなたの追っかけでした」と言っていた。50年を超えたファン歴。想像を超えるなあ。。

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とりあえず自分のロードレーサーもちゃんと磨こう、と思ったのでした(笑)

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この映画に行くきっかけとなる情報をくださったカピバラさんのところにも当時のレースシーンに着目した感想があります。どうもありがとうございました!