tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

In Pursuit of Glory(2)母の復讐プロジェクト


電車の中で読んでます。

酷い仕打ちを受けた元夫がやっていた自転車競技。息子が同じ道を歩むのなんかいやだろう、と思ってたのですが、、

  • あまり父親のことを語らなかったウィギンスの母だけれど、たまに「お父さんはとても優秀な自転車選手だった」と語っていたらしい。そもそも父と母が出会ったのは、母がヴェロドロームに通いつめて熱心に競技を見ていたから。ヨーロッパ大陸に渡る前の当時の父は敵なし状態で、自転車競技ファンだった母にとって世界レベルの男のなかの男だった。
  • 息子がガスコインの家に突撃してサインをもらいに行ったり、ウエストハムのサッカー学校に6週間の合宿に行くほどサッカーにのめりこんでも母は「サッカーでトップ選手になるのは確率的に大変」というアドバイスをちょくちょくしていたらしい。
  • 12歳の夏、ある夕方ウィギンスが仲間とアパートの廻りでサッカーボールを蹴っていたところ、母が家にはいってTVを見ろといい、うざいなーと思いつつTVの前に座ったウィギンスは、バルセロナオリンピックでクリス・ボードマンが4km個人追い抜きでJens Lehman(←レーマン。笑)をとらえようとするところだった。母は「この種目はお父さんが得意にしてたのよ」と言った。
  • ウィギンスは自転車競技のスポーツとしての部分だけでなく、それを取り巻く劇場的な空間、集中、準備、駆け回る大会役員などのようすに魅せられた。自転車競技だけでなく、オリンピックというイベントにも魅せられた。
  • で、それを境に彼はオリンピックのトラック競技で金メダルを取ることを目標に以後の道のりを歩むことになる(で、12年後に夢を現実にする)母のたくらみはまんまと当たったことになる。
  • そんな息子のために母親は家の近くの自転車チームを教えてほしいと連盟に照会したり、父親がオーストラリアから出てきたときに面倒をみてくれた人にレース会場で出会うと、ウィギンスを父親も所属していたクラブに紹介してもらい、それをきっかけにウィギンスは伸びていった。結果、Peter Shilton*1二世、は生まれなかった。

自転車競技の世界に足を踏み入れるのは母親にとって苦痛を伴うことだったかもしれないが、ウィギンスは、思えば、それは母親なりの復讐だったのでは、と書いている。

  • まあ、そんな長いこと心に植えつけられたままの目標に邁進し、ついに達成したら、やっぱり終わったあとどうしていいかわからなくなるのも理解できる。
  • どうでもいいのですが、キーパーグローブをしたウィギンスがあまりにも似合いそうで、困ります。手足の長い系のGKよくいるし。

*1:イングランド代表を長くつとめた名キーパー