エンリコ・フランツォーイを探して(知らぬ間にBKCP離脱)
どうやら、Stybarはロード最初のシーズンから頭をシクロクロスに切り替え中のようですし、FIDEAはフォトセッションがどこかに出ていたし、着々とシクロクロスシーズンが近づいているようで思わず嬉しい昨今です。
- そんな矢先、池本選手(id:IKEMOTO, @shinyaikemoto)のつぶやきでBKCPのサイトにフランツォーイがでていないことを知りあわてる。(2010年シーズンから加入でまだ移籍の話はみていなかったはず)
- 検索しても検索しても新しい彼の情報は出てこず。直近の今年1月の世界選の練習中にクラッシュして出場を逃したことと、その後GVAトロフィーの最終戦で20位になったところぐらいでそのあとはネットに出現しているのを見つけられず。。
- 公式HPは今は閉鎖されたのか、該当なしhttp://www.enricofranzoi.be/
- FacebookはみつけたけどなぜかうちのPCでは頁ごとFBを翻訳できず、イタリア語のFBもうよくわからんわ。で投げ出しそうに。
=====(フランツォーイとわたくし)=======
Enrico Franzoi←フランツォーイの経歴、戦績
- 彼を最初に知ったのはパリルーベ2007年。2007-04-18 - tannenbaum居眠り日記zzzハモンド、ボーネンと同じグループで8位に。わりとむっくり気味の(写真右側でくずれおちている若い人)、クラシックで頑張るランプレのシクロクロス出身の若手という印象だった。
- と、思ってたらブエルタにもコンスタントに出場していた。
- シクロクロスではずっとイタリアチャンピオンジャージを着ているイメージ。シクロクロス界では、ちょっと後ろを走っていても、ベルギーやオランダの実況でも名前を必ず呼ばれるビッグネームであることに気づいてゆく。
- そういえば私がシクロクロスに目を向けるきっかけになった2007年1月の世界選手権で3位になっていたのがフランツォーイ。PezCycling News - What's Cool In Pro Cycling不運だったネイスと特に不運だったワレンス、1位のヴェルヴェッケンと2位のジョナサン・ペイジしか覚えておらず。3位にいたのね、とあとから再確認。
こける写真でごめんなさい。おまけに顔からつっこんだらしい。
(以上二枚、Pezcyclingnews)
このとき表彰台に上った3名が何故かいずれもその後けっこう不遇だったかもしれないという説も。。涙
- クロス世界選で表彰台の選手がパリルーベでも上位って素敵ではないですか。それにハモンド先生も当時はまだ冬はシクロクロスを走っていて、一気に「クロスとロードの石畳で実績を上げられる選手」という株が急上昇。←ハモンド先生タイプ
- その後リクイガスに移籍。なんだか急にしゅっとした感じになってビックリ。
- 08年のブエルタでは、現地観戦をしたお友達が名前もわからなかった彼にひとめぼれする件などもあり。笑
- そんな中、ロードと両方→シクロクロスに専念、の路線をとり、アルベルトのいるBKCP(そういえばシムネックやワルスレーベンも)に2010年から移籍。
だんだんブルセギン化してきたような。。というかリクイガスのときの写真の撮り方が異質というか変身写真だったのかしら。。
- が、移籍後はじりじり調子を上げる場面もあるものの、結局はあまり華々しいところでは活躍仕切れなかった印象。
- というわけでとにかく要チェック対象できた選手なのでした。
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で、そんなシクロクロスイタリアチャンピオンに何度も、世界選のポディウムにも乗った経験のある選手について、検索してもヒットせず。ってありでしょうか?状態で不安に駆られて暫く検索していたのでした。昨年までのチームには明らかに居ないようだし。で、シクロクロス本場のベルギーのスポーツサイトでFranzoiで検索しても今年の1月以降情報なし。
・・・もしや、自転車界から去ってしまったのでは、、と一瞬暗い気持ちになりそうに。
- で、避けて通っていたイタリアのサイトもGoogle翻訳で中身を確認しながらみてみると、あったあった。
ciclocross PRO 2011-2012 - Bici da corsa | BDC-forum.it
「BKCPチームとは、マネジメント上の問題とプログラムについて意見が合わずに契約解除することを決めた。2012年チームを探すことになるが、今年一杯は個人にスポンサーを受けてシクロクロスを走りたい。」(←超適当訳)
というようなことを5月に自分のFacebookで発表していたらしい。
- 契約期間途中の解除って、最近ロードの世界ではあまり驚かないですが、やっぱり普通じゃない。チェコ人のシムネックJr.とかドイツのワルスレーベンとかは居ますが、やっぱりアルベルトのためのベルギーチームでは、ずっとイタリアンチーム(ロードと掛け持ち)で走っていた彼にとってなじむのは大変だったんでしょうかね。。その上、移籍当初はアルベルト以外にポディウムを常時狙える選手という強い期待があったのに、あまり応えられなかったようですし。
- イタリア人てロードでも、多国籍チームに一人イタリア人でいても平気そうな人もいれば、やっぱりイタリアチーム、という感じの人もいるような気がする。。英語できる人ばっかじゃなさそうだし。またチェコ人とかのほうがベルギーになじむのかしら。
- やっぱり海外の職場になじむためには、現地の彼女を作って現地におうちをたてて、じっくり腰を据えなければ、なかなか難しいのだろうか。。掲示板にも1年のうち数ヶ月はじっくりベルギーにいればいいのに、すぐ母国に帰るのを古典的イタリア人にみられるマザコン?云々、といっている発言もあって、外様状態から脱却できなかったのかも。
- こうなったら、イタリアチームでまたシクロクロスを認めてくれるロードチームに戻るんでしょうかね。リクイガスに戻ってサガン君でもシクロクロスにひっぱってきてもらいたい(←シクロクロスにもでていた)