tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

De Clerq 対 Nys舌戦続く(Koksijde World Cup 2011)


Koksijdeはやっぱり面白いですねえ。

昨年は8位に終わった砂地獄Koksijdeでどれだけ戦えるかが注目された今季これまでもっとも好調な選手のパウエルス。砂地を上手く走れるNysとの戦いは、パウエルスとNysがシーソーゲームで走りついに、ゴールスプリントに。
私はゴールスプリントならパウエルスなんだろう、終盤Nys疲れが見えていたし。などと思っていたが、結局スプリントを先にスタートしたNysがフェンス側から追い抜かそうとするパウエルスの進路を微妙に閉めてそのままゴール。普段おとなしく勝利のときも表情が変らなかったりするパウエルスは珍しく感情をあらわにして抗議しながらゴールラインをまたいだ。
Debate rages over Nys and Pauwels sprint at Koksijde World Cup | Cyclingnews.com
・・・で、やっぱりパウエルスのチーム、サンウェブ側から正式クレームはついていたらしいが、監督のDe Clerqによると、Nysが右よりに走ったことではなく、その前にパウエルスのハンドルバーに二度Nysの膝がぶつかったことに対しての抗議だったのだとか(どのタイミングでしょう?)パウエルス自身は、去年のGavereよりももっとあからさまにNysに脇に追いやられた、自分はNysとほとんど並んでいて、自分はあれ以上そのまま進んでいたらクラッシュしていた。とベルギーのメディアにコメント。
で、Nysのコメントはパウエルスよりもその監督のDe Clerqを意識したもの。

自分はパウエルスが上がってくる前に自分のラインをとったまでで、パウエルスは反対側をスプリントする選択肢もあった。彼の進路を閉めたのは彼が自分の横に並ぶより前。このトリックは今ケビンを指導している誰かさんから自分が学んだものだ

  • で、長い協議の後、コミッセールはサンウェブの抗議を採用せず、Nysの優勝を認めた。
  • 表面上穏やかな表彰式が終わって、記者会見。
  • Nysはパウエルスの怒りのジェスチャーには動揺しないとコメント。さらに、今回のスプリントを2002年のベルギー選手権においてVervecken がDe Clerqのスプリントに腹を立てたことを引き合いに出し、2.3年前も似たような状況があったが、いつもギリギリ限界で戦っているんだ。あそこで左側に進路をとるのは馬鹿のやること。とコメント。
  • De Clerqはそれを聞いて苛立ちを示す。

Nysは話が上手い。が、今回のスプリントと比較することはできない。あのときVerveckenはほかにいくらでも進路のとりようがあったんだ。Eric De Vlaemynck とAlbert Vandammeの1972年のスプリントとも比較することはできない。コミッセールの判断は弱腰だ(have no balls)」。ツール・ド・フランスなら即帰宅させられるだろう

  • マネジャーのMettepennigenの怒りのコメント。

NysがUCIの選手コミッションのメンバーであることを忘れてはならない。、彼サイドに偏った判定が下った。UCIの機能に疑問を抱く者もいるだろう。ああいう勝ち方をするのを選んだのはNys自身。倫理上の勝者はケビンだ。それは観衆の反応が物語ってるだろう。以前のNysはつねに大差をつけて勝利していた。今はああいう勝ち方をしなくては勝てない。真のチャンピオンにふさわしくない

パウエルスは議論を避けていたが1月に再びKoksijdeの世界選でNysと戦うことを視野に、思ったよりKoksijdeでよく走れたことを喜んでいたらしい(記事会見で荒れるケビンと言うのも見たかったような気もしますが、あの珍しいまでの怒りは、じきにさめたんでしょうかね)。
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  • なんだかパウエルスをよそに、Nys対De Clerqの戦いになっているようにみえますねえ。

三船さんはじめ私の巡回先の皆様は大体みなさんパウエルスのとったコースのほうが問題と言ってらっしやいますがねえ。
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(遺恨)
二人の対立は、2000年の世界選手権以来の二人のライバル関係にさかのぼるらしい。
当時を知る方からの情報を引用させていただきます。

この世界選は、R・グルーネンダールが住んでいる地元、セント・メヒールガステルで開催され、当時絶好調だったグルーネンダールを絶対に勝たせる大会でもありました。
この時、グルーネンダール、A・ファンデル・プール、そしてS・ナイスはラボバンクチーム所属で、グルーネンダールが逃げた時にS・ナイスに追走グループで先頭を引かないようにファンデル・プールが指示。
本来ならば、ベルギー代表として自分のため、または同じグループにいたクレルクと共にグルーネンダールを追わなければならない立場だったのですが、チームとの契約(来季の契約およびグルーネンダールを勝たせれば全員にボーナスが支払われるなど)があって、ベルギーチームではなく、ラボチームとして動いた、そのためグルーネンダールが勝って、クレルクとナイスは2位、3位の表彰台で共に涙を流したのでした。

10年以上経過した今も、ライバルチームの監督と選手という立場でお互いを強く意識し、直接的に批判しあう関係の二人。。。

(関連)
2011-11-16 - tannenbaum居眠り日記zzzHamme-Zoggeのあとも似たような場外バトルがあったのでした。(←で、この日のコメント欄に荻島選手からの上記因縁に関するコメントを頂いています。)