tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

Friedrichshafenには何をしに(ブログお休みしておりました)

今年初めてのエントリーになります。前回の足立さんの記事を書き上げた直後に、同居していた実父が先に行った母のもとに旅立ちました。仕事が忙しいピークで気づくと日々が過ぎ、まだおそらく本当には実感がわかないままです。

  • レース現場での観戦とブログは色々と落ち着くまでお休みしていましたが、相変わらず自転車とシクロクロス(とその他の趣味)への興味は尽きておらず、そろそろレース観戦もブログも復活しようと思いますので、よろしくお願いいたします。

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  • 先日、父が勤務していた会社のOB会会長さんが岡山からわざわざお線香をあげに来てくださいました。新入社員のときの上司が父だったそうで、当時ヒット商品となった農業機械の開発をしていたときの父の職人肌で熱心な仕事の様子をお聞きして、子供の私から見ていたのとは全く異なった父の姿について思ったりしてみました。古い資料や写真を見返していると、私の知らなかった色々なことを発見します。

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  • 社長さんのカバン持ちでヨーロッパ視察旅行に出かけた写真が出てきました。私は2−3歳で、留守を守っていた母が盲腸で動けなくなり、伯母がかけつけたときには一人でたくましく冷蔵庫の残飯を漁っていたという逸話は親戚の集まりで何度となく聞かされたことで、帰国後父から写真や8ミリカメラで撮った動画をふすまや裏の白いカレンダーに映して何度も上映会をしていたのは覚えているのですが、今あらためてこういう写真を見ると、まったく異なった視点で、父と再会しているような気がしました。若い頃はどんな希望を持っていたんだろう?

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Friedlichshafen Stadtという駅らしい看板が映っていた。フリードリヒスファーヘン市。

フリードリヒスファーフェンはドイツ、スイス、オーストリアの国境に接したボーデン湖に面した比較的歴史の浅い町で、かつてツェッペリン飛行船が作られていた街らしい、父は何をしに行ったのか。1960年代には飛行船はもう廃れていた。

ZFフリードリヒスハーフェンという会社があって、自動車部品や歯車で有名らしい。父は農耕作業を機械化する流れの真っ只中にいたようだが、おそらくほかにも自動車メーカーの工場の写真があることから、自動車の技術を農業機械に活用するという目的があったのではないか。そういえば結婚前に米国の自動車メーカーへの転職を誘われたことがあるらしいが、祖父がもう目が離せなくなっていたために、話を断った、と聞いている(最近日本からの撤退を決めた会社)。

  • などと考えてみても、もう父には聞けない。今も、あとでお父さんに聞いてみよう、と思ったりしてはっと気づくことがある。まだ、ちょっとしたことでも父がそばにいて、すぐ聞けるような気がしてしまうのだけど、もう直接聞けることはないのである。