tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

宿願

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(Photo by Masakazu Abe)

ゴールで待ち構えながら息子の優勝に感涙に咽ぶ父親、じつは元選手、というシーンは世に多くあると思う。しかし、同じ舞台でいまだ国内トップ10を走る父が、息子の優勝ゴールの瞬間にすぐ後ろで走りながら同時に手を上げガッツポーズするというのは、他ではまず、起こり得ないのではないか。

 今年の全日本選手権に「マサノリが勝つのを応援しに行く」と言っていた佐宗広明さんに、小坂光選手の優勝が決まった直後にメール(メッセンジャーでなく携帯キャリアのメール)したところ、「涙が止まらなかった」という返事だけが返ってきた。

その後、ヒカル選手の優勝ゴールのガッツポーズと同時に、7-8位を走っていたお父さんがガッツポ-ズをしていたと聞き、なんという親子、と思った。その瞬間を佐宗さんは「シクロクロスの神様が小坂親子に舞い降りた瞬間」と。

「クロスの鬼」と言われた佐宗広明さんがFacebookに投稿した文章をご本人の了解を得て全文紹介。

【第23回シクロクロス全日本選手権大会

シクロクロス全日本選手権大会、第1回が開催されたのは1996年1月14日、原村にある自然文化園だった。シクロクロスミーティングの最終戦を兼ねていた。記念すべき初代チャンピオンになったのは愛三工業の大原満。2位は強豪MTB選手だった西田和弥、3位は『オレ様』こと牧野弘樹である。当時から『クロスの帝王』と呼ばれていた小坂正則は体調不良から前日に行われた長谷村の試合を欠場し、初開催の全日本に備えたが残念ながら終盤に落車負傷してリタイアとなっている。それから数えて今年の全日本が第23回となるが、その間には幾度か小坂(マサノリ)がタイトルを獲るチャンスがあったと思うのだがプロ選手ではなく国家公務員として競技を続けるマサノリは一歩及ばずに無縁だった。

年月が過ぎるのは早いもので原村の全日本選手権が開催された頃には小学校にも上がってなかった息子の光(ヒカル)が10年程前から頭角を現し、大学卒業後もプロ選手としての道を選ばず宇都宮市役所職員となり選手としての活動を続けている。数年前の全日本では親子で表彰台に上る姿を見るまでになった。そしてヒカルは国内のビッグレースに勝利を収める存在となり、全日本でも毎年、優勝候補の一角に挙げられ、所属する宇都宮ブリッツェンの地元開催となった昨年も悲願のタイトル奪取なるかと思われたが、残念ながら3位に終わっている。

そして迎えた今年の全日本、場所は小坂家のある佐久市からほど近い、野辺山高原・滝沢牧場。2週間前には例年通り野辺山2dayが開催されて多くの参加者、観客で賑わった。注目の優勝候補として自分は、ヒカルの他に、昨年の覇者である沢田時(ブリヂストンアンカー)、前田公平(弱虫ペダル)、過去に4連覇を達成している竹ノ内悠(Toyoフレーム)の4人を挙げた。そこに昨年2度目のU23タイトルを獲得して今年からエリートに上がった横山航太がどこまで食い込んで来るかが注目される。

金曜に降った雪は大した量ではなくエリートがスタートする14時にはコース上は土が露出する部分が多くなっていた。野辺山名物の泥区間も11月に行われるときに比べて酷くないようだ。レイアウトも舗装登りの直線が二つに分けられて短くなっているため、パワーで押し切るような勝負どころがなく、細かなテクニックの差と決定的なミスをしないことが勝負を分けるのではないかと思われた。

朝からジュニア、U23、女子エリートの試合を各地で見守った結果、ゴール付近にある馬車(?)の上で定点観戦することを決めた。定刻の14時、69名の選手がスタートを切った。第1コーナーから最初の登り区間、大きなトラブルもなく無難にスタートが切られた模様。そこから4名が抜け出す。ヒカル、前田、沢田、横山の4名が後続を引き離して馬場から上の舗装に消えていく。その後方に竹ノ内、ベテランの丸山厚が続く。(丸山は自分が『鬼』を演じていた頃、世界選手権代表になるなど有力な高校生4名の一人として走り始めた。)

2周目の途中で発表された周回数は予想通り8周。先頭の4名は互いに仕掛け合い、誰もが何処かでミスをしているようで、4周目辺りではヒカルと前田の2人と沢田・横山の間が20mほど開いたように見えた。ヒカルも何度かミスをして離れる時間帯があったがその度にすぐに差を詰めて先頭に戻る。今回は好調なようだ。

すると今度は前田がミスをして遅れ、代わって横山が一気にヒカルに追い付き、ヒカル&横山、前田&沢田のパックに分かれる。そしてヒカルと横山のマッチレースになると思われた残り2周の馬場から舗装登りへのアプローチで横山がまさかの落車、ヒカルに10秒ほどのリードを許してしまう。しかしテクニックに勝るであろう横山は(大雪の飯山大会をブッチギリで連勝したときの走りが忘れられない)諦めておらず少しずつ差を詰めて5秒ほどに詰め寄る。

迎えた最終ラップ、その差5秒を保ったまま上の牧草地、バギーコース区間へと消えていく。それまでは他の選手達にも左右から声援を送っていたが終盤の2周回はヒカルと横山の位置関係を遠目に追い、時計の針を見ながら秒差を確認することに徹して2人以外の姿は見えなくなっていた。ただし、ヒカルの父、マサノリが同じくスワコの兼子を従えて7位を走行していたので激を送り続けた。そしてなんと、ヒカルがフライオーバーを越えて大きなリードを保ったまま最後の舗装区間に入るころ、父マサノリが上の区間から降りて来る。すかさず『ヒカルがもう直ぐゴールするぞ!勝てるぞ!』と伝えると、ヤツはコーナーの度に目線をヒカルの方に向け、さらにヒカルがゴール前の直線に差し掛かるタイミングでマサノリは隣の直線を走っていて息子の勝利を確信した瞬間、両手を大きく天に突き上げていた。シクロクロスの神様が小坂親子に舞い降りた瞬間だった。自分も脚が震えて涙が止まらなくなっていた。いつの間にか近くに来ていたミレイ窪田氏も同様で、ガッチリ握手をして長年の夢が実現した瞬間を分かち合うことが出来た。

自分とマサノリは同い年で引き合いに出されることもあるが、彼とは身体能力、センス、勝負への拘り、どれをとっても比べるべくもないのだが、クロスは1年先輩、MTBレースも数年先に始めていたためか、何かと親しくさせてもらっている。自分が参戦していた頃から含めて毎年、全日本選手権ではタイトルを獲ってもらいたいと応援して、ここ数年はそれがヒカルへと移っていた。自分は彼らの親戚でもないのだが、何だか甥っ子が全日本チャンピオンになったような気がしてならない。

やったね!ヒカル。良かったな、マサノリ。来年はオヤジが獲る番だ!!

先頭争いを繰り広げた横山、前田、沢田の3選手にも賞賛の言葉を贈りたいと思う。6位と健闘した丸山厚の走りも嬉しい。さあ、来年の全日本選手権の展開は如何に…

 

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(Photo by Sasou-san)

文章にあるとおり、かつて競い合ったライバルであり友でもあり、そして日本のシクロクロスのトップグループをずっと走り続ける小坂正則さんの日本タイトルを応援し続けてきた身近な支援者が佐宗さん。

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(Millet.Kさんが佐宗さんのカメラで撮影)相好を崩す小坂正則さんと感無量な表情の佐宗さん。最終周回、Millet.Kさんと佐宗さんはすでに泣いていたらしい。

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(Photo by Sasou-san) 甥っ子が優勝したよう、というヒカル選手の優勝。

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(Photo by Sasou-san) 表彰式にて。なんとも嬉しそう。

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(Photo by Sasou-san) ヒカル選手の佐宗さんに向ける目は、飾らない。

毎週末父に連れられ過ごしたレース会場で育った小さかった男の子が、ついに頂点に立った。

 

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(96年、バイシクルクラブの特集記事、第一回シクロクロス全日本選手権で負傷しながら先頭の大原選手を追おうとする小坂さん)

http://www.hi-ho.ne.jp/millet/TUP/backnumber/95-96/79b.html ←Millet.KさんのTUNE UP PRESSによる詳細

http://tannenbaum.hatenadiary.jp/entry/20130221/p1←関連の当ブログ記事

佐宗さんの上の文章をよく読んでいただきたい。

やったね!ヒカル。良かったな、マサノリ。来年はオヤジが獲る番だ!!

 

シクロクロスの神様が再び舞い降りても、けして不思議なことではない。