俺たち代表(ジュニアのレースから)
男子ジュニアレースのコールアップ前のひと時、アップを終えて徐々に集まってくる各国の選手とスタッフ。
日本チームのジャケットはほんとうによく目立つ。
号砲前の静寂。伝わってくる圧力
スタート。
日本のレースとは異なるスピードに、撮るほうもついてゆけない。観客がまだ少なくて撮りやすいはずなのに最初は選手にピントがなかなか合わなかった。
スタート位置がかなり後ろだった鈴木選手がやってくる。見たことのあるバイクだとおもって前日聞いたら、池本選手が今シーズン前半まで使用していたもの。
代表チーム中、唯一のカンチブレーキ仕様だったけれどもメカニックの橋本氏はブログで「カラシニコフ銃のような」と例えていた。
Tankograd Central:2019シクロクロス世界選手権Bogense
スタート位置は前のほうだった小島選手がなかなか来ないと心配していたら、落車の跡が。表情さえない。
柳澤選手。
一人旅なシーンが多い日本の選手。
ライト君!行け!って大声だしたら、周囲の観客が、おお、おまえは日本人かと振り返り、ほらまたジャパン来たぞ、ほら遠慮せず撮れ撮れと指で示してくれたりした。
がっつり気合入れてる。
終了後、表彰式を見に行く途中で、戻ってきた鈴木選手と遭遇。
きつかった、速かった、と目を見開いて
悔しい、でも楽しかった、でも悔しいと交互に。
あー、悔しい、楽しかった、でも悔しい、あーもっとよく準備すれば、とか天を仰いだりしながら、言葉の奔流。あー。もう、すみません今は。とか何故か謝ったりして。
優勝した英国のBen Tulettは小柄な童顔で後続を大きく引き離す勝利だったけれども小動物みたいにウルウルしていた。あっちとこっち、どこに違いがあるんでしょう。
翌日、レースの合間に会場そばのスーパーマーケット探訪にいくのに付き添い?としてついていった。ジュニア3名とU23 の江越選手。
コーラの種類チェック。家にお土産、何にしようかなとか、円に換算なかなか暗算むずかしいとか。デンマークはキャッシュレスが進んでいて現金を使う機会がもともと少ないうえに、彼らは町から離れたホテルに滞在していて、なかなか手持ちのDKKが減らないと言っていた。
すれ違った、ベルギーの応援グッズを身に着けた中年のご夫婦、こっちをみてニコニコして、「日本からなのね?」と聞いてきた。そう、彼らは代表選手のいでたちなのだ。
「このジャケット着ていると、どこに出入りしてもそういう目で見られて、一目置かれる。それで俺たち代表選手なんだって思うんですよね。」「・・そうだ、俺たち日本代表なんだ!」「そうだそうだ」と口ぐちに。思うように走れなかったレース終わってからこういうこと言うのもなんですけどね。と小島選手(苦笑)
ものおじせず質問して買い物できます。当たり前か(苦笑)
会場にいつから設置されていたのか、やや年季がはいった感のある「2/2-2/3 2019 シクロクロス世界選手権」という黄色い看板を撮影。
会場にあふれる、飲食や買い物を楽しむ人出(この時間帯は3時間ぐらいレースの間隔があいていた)を眺めながら
「大きなお祭り。こんなにたくさん人が集まって、お祭りを思い切り楽しんでいて、それが世界選。いいなあ。このような場に日本代表として来ることができて本当によかった。また来たい」「世界のスピードに触れて衝撃を受けたけれど、日本に帰ってからそれに太刀打ちできるようにトレーニングを工夫してゆきたい。またこの場に立ちたい、頑張りたい」
と小島選手。
彼らのような年齢で、このような体験ができるチャンスはそうそうあるものではないと思います。競技以外の面でも将来の栄養になる貴重な経験だったのではと思いました。
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【追記】帰国後、鈴木選手の乗った自転車、サンエスのJFFフレームを開発した辻浦さんに、鈴木選手の完走について聞きました。
・昨シーズンに開催した合宿に参加した鈴木選手と知り合い、そのときの縁で、池本選手が機材を新しくした機会に鈴木選手に貸し出す提案をした。
・ジュニアは機材じゃないと思うけれども、応援してきた彼が完走できたことが嬉しい。
・彼は信州クロスでレベルの高いC1に混じっていつも前を意識したレースをして来た。
・このあとのロードレースシーズンでスピードや戦略を学んで、次のシクロクロスシーズンに期待している。