tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

ケルンのラポルダー監督、解任

第17節も勝てなかったケルン。。。

masa Blog@Bundesliga:ラポルダー解任!より。
トップメラーやザマーはともかく、シャルケ辞めたてほやほやのラングニックになったらまたブンデス監督回転寿司ですが、ラングニック面白いかもしれませんね。。ダウムは望まれてもブンデスに戻りそうにないですし。。

しかし先日の日経新聞の記事に載っていた、若手育成推進派レティヒGMも辞めてしまったんだ。。。(http://d.hatena.ne.jp/tannenbaum/20051111#p5)この路線に変更なければいいんですけれども。。
会長のオベラートはそのままですか(鈴木良平さんいわく顔がきいて、オベラートのおかげでクラブはスポンサー見つけたり、アディダスと提携したりだそうですが)

なんとかこのあと立て直してほしいです。

自転車選手から画家になった加藤一氏のインタビュー(Number誌1990年宇都宮世界選直前)

id:Petitfeministさまよりお借りしっぱなし(すみません年明けにならないと多分読みきれないと思います・・・)の90年サッカードイツ代表関連のビデオと雑誌「ハッピーパック」(マクドナルドか)をつらつら眺めていたところ、今日ふと、90年8月5日号のNumberで、ちょっと前にNacoさんのところに出ていた加藤一氏の生前のインタビュー(世界選が8月20日からだったので、直前)が載っていました。楽天が運営するポータルサイト : 【インフォシーク】Infoseek2005 年9月7日、8日



加藤一氏とは:

  • JCFのマークのデザインをした
  • 1990年に日本で開催された自転車世界選手権を招聘した立役者
  • パリで名の知れた抽象画家として活躍する前は自転車選手
  • 1947年から2年間で国体7種目(当時の全種目)に優勝、52年のヘルシンキ・オリンピックの候補になったら経済事情で断念、学士第一号の競輪選手となり、競技者団体設立奔走
  • 引退後はフランスに渡り画家になった。

以下、インタビュー内容:

「子供の頃から光とか風とかへのイメージへの憧れがあったんですよ。今でも競技者だった頃を思い出すと、頭に浮かぶのはコンクリートピストのグレーと、顔を上げたときに見えた、観客席のあらゆる色が交じり合って帯のように流れている残像なんです。それを描こうとし続けて」

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