tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

自転車ジャージの歴史を知らなかったので

自転車ジャージがいつどのような素材だったのか、年齢のわりにファン歴が短くちっとも知らなかったことを認識したhttps://tannenbaum.hatenadiary.jp/entry/2020/05/30/123016

 ので、読んでみたサイトを自分用に雑に訳してGoogle Documentにいれていたのを記事にしてみます。

まあ、ここで追っているのはその時の先端技術として出現してきた素材がどうだったか、というもので、市井のサイクリスト(そのような層がどれぐらい各時代や地域に存在していたかもわかりませんが)が何を着ていたかというところまではわからないですけどね。ちょっと勉強になりました。

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Wikipediaより”Tour de France. Louison Bobet (Frankrijk) 4 Jul 1951” Harry Pot - Nationaal Archief ルイゾン・ボべ、1951年ツール。まだこのころは体育着っぽい

私が読んだのはhttps://seemewear.com/という自転車で自動車事故に遭った経験のある米国人が始めた視認性のよい蛍光色のジャージを販売するサイト(視認性よく走ろう、という社会活動的なものなのかな)。なので蛍光や夜光素材のところに重きを置いている部分は全体の流れを知りたいという今回のエントリーでは割愛することにしました。すみません。こんどまた記事にしようかと思います。

  • でもこの視認性のよい姿で走ろうという考え方はもっと注目されて良いと思うので、デザイン次第でこの発想の市民権は広がると思うし、一般メーカーにも検討してもらえるといいのかもしれません。
  • そもそも蛍光・夜光に着色する技術を1940年代に発明したのが自転車事故で視神経を損傷して暗がりでの療養経験のあるスイス人Switzer兄弟(https://www.dayglo.com/だったとは知りませんでした。

さて本題へ。

seemewear.com

自転車ジャージは初期はとてつもなく重くゴワゴワしており、年月を経て軽量・高機能・カラフルになった。自転車用ジャージが必要になったのは1800年代、自転車競技の人気が高まり、サイクリストは有利なウエアを求めた。その変遷を見てみよう。

1900年代初頭:ウールのデメリットとシルクジャージの出現

(ジャージにシルクが使用されていたとは、知りませんでした。。快適だろうけど、乱暴に着脱したり摩擦ですぐ破れそう。あと静電気すごそう。だけとシルクのジャージ見てみたい&着てみたい)

1900年代初頭、自転車ジャージはすべてウール製だった。長袖でとてつもなく重くいつも快適とは限らなかった。ウールはしかしメリットがあった。コットンよりはるかに湿気を弾き、汗をよく吸った。

そういう意味では冬も夏もウールの自転車ジャージは理想的だった。しかしひとたび濡れてしまうと、とんでもなく重たくなり着心地は悪くなる。ウールは通気性の面では優れていないという点もあったが、長い年月スタンダードだった。皆、欠点は我慢してきたのだ。

多くのウールジャージは無地でデザインの側面はなかった。中にはチーム名やストライプで選手の区別を付けるということもあったが、多くは地味なものだった。時代が流れデザイナーたちの一部は創意工夫をしてパッチワークデザインや違う色との組み合わせや、ストライプなどアバンギャルドな試みをするようになり、よりカラフルな時代になってきた。

また、色別のジャージでレース内での地位を示す、という使われ方をしてきた。たとえばイエロージャージ。

 

1940年代:バルタリやコッピのカラフルなジャージ

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WikipediaよりFausto Coppi at the 1952 Tour de France.-J.D. Noske (Anefo) 上のボべさんと同時代の写真、コッピさんイケメン。。これは薄手に見えるししわもあるしなんとなくシルクでしょうか。袖口のリブニットは強度のあるウールかな(推測)

1940年代前半はイタリアの仕立て屋Armano Castelliがウールより軽い代替品としてシルクのジャージを考案した。カステリはジーノ・バルタリのためのジャージをデザインしたことで名声を博したがそもそもはライバルのファウスト・コッピがより速く走行できる軽量なジャージについてカステリに打診したのだった。

新しいタイプのシルクのジャージが知られるようになると、サイクリストたちはより速く走るためにシルクを採用するようになった。シルクはより軽量で生地を垂れさせることなく襟、ポケット、ジッパーなどの加工がしやすかった。

シルクはまた、ウールよりもはるかに様々な染料を使いやすかったので、カラフルなジャージが登場することになった。そこでジャージにビジネス効果、つまりロゴや宣伝をジャージに盛りこむことが可能になった。

Rio Van LooyやLouison Bobet、Jacques Anquetil, Bernar HinaultやEddy Merckxなどの伝説的サイクリストたちは長い間カステリのジャージや関連アパレルを使用していた。

 

Castelli メンズ 冬用 Fondo ジャージ FZ サイクリングジャージ - 保温 汗発散 ジャージ 寒い季節に

 (サソリマークのカステリさんは先進技術の開拓者だったのですね)

第二次大戦後:大戦をきっかけに新素材とフレキシビリティがもたらされる

(いよいよ今の素材がでてくるわけで、自転車乗りのことをライクラ野郎、とかいったりするはこの時代以降ですね。)

第二次大戦まで自転車ジャージに変化はなかった。

その後ポリエステル。スパンデックス、ナイロンが発明された。それら3種類の生地は他のスポーツ同様に自転車ジャージの進歩を加速させることになった。

1950年代後半、DuPont研究所はライクラ(ポリエステルに伸縮性をもたせたもの)を開発。

Lycraは自転車アパレルに大いなる進歩をもたらした。当時の生地と比べてLycraははるかに上回る伸縮性、耐久性をもたらしたのだった。Lycraは自転車ジャージだけではなくスキーーパンツ、ストッキング、ウエットスーツやソックスなと広く利用されることとなった。

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https://www.toray-opt.co.jp/brand/logo.html

サイクリストたちにライクラがもたらしたのは、エアロ効果、軽量性、速乾性、多彩な色彩であった。水玉、ストライプその他多くのデザインが可能となり視認性が高くなった。

ときには奇妙でぶかっこうなデザインや宣伝のやりすぎで逆効果なものもあった。

 

 (べたべたあちこちに多くのスポンサーロゴがくっ付いてるプロ選手のジャージデザインへの安心感というのは私が自転車レースを見始めた時代によるものなんですかね) 

蛍光色、今日のジャージへ

(すみません長いし別の意味があるので、次の機会に)

現在のトレンド

自転車ジャージは大きな変化をとげてきた。特にウールからの軽量化。ライクラとポリエステルへ。そして自転車ジャージは競技自体を色々な面で深く研究する材料となってきた。例えばCycling magazineは15のジャージから自転車の歴史をとりあげた。

近年ウールジャージが見直されている。肌寒い冬の間メリノウールを着たがる人たちがいるのである。これはにぎやかでごちゃごちゃしたデザインからシンプルなデザインへの回帰、という側面もある。

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Wikipediaより  Joop Zoetemelk en Eddy Merckx schudden elkaar de hand ーNationaal Archief - メルクスの着てたこのMolteniの復刻版は結構よく目にしますよね

 新しいトレンドが表面化しつつあって、ほかよりも有益な特性を持つものもあるようだ。最近自転車ジャージは日焼けから守る機能も有している。また竹やバイオセラミック生地も使われることもある。まあ我々はただの昔ながらの普通のジャージが好きだったりするわけであるが。