読んでます"In Pursuit of Glory"
(全面的に本の内容ネタバレ)
- まず。PezCycling News - What's Cool In Pro CyclingこのPezの記事はお父さんの名前をGary(ゲイリー)と書いているが、ウィギンス本によればGarry(ガリー)。
- とにかくなんじゃそりゃー!あんたちょっと!な人生を歩んだGarryですが、もともとの気性もあるんでしょうが(そもそも、世に出るために、オーストラリア時代に10代婚で作った娘と妻をおいて(捨てて)英国に渡った)
- 当時6日間レースの選手たちに蔓延していた"スピード”という薬(つまり、アンフェタミン)の常用によって、彼の性格は極端なものになっていったのだとか。
- そもそも、第二次世界大戦で米軍が放棄していったアンフェタミンは8000万錠といわれ、それらは闇市場で取引されていた。80年代初頭はその後訪れる高度な薬の時代が来る前の、そういった闇マーケット時代の終わりごろで、半分黙認されていた。
- Garryの当時のあだ名"Doc"はクスリとの関係において、どういう立場にあったか、というのを示している。つまり、金曜夜になれば、週末のレースに向けてライダーたちが彼の家に列を成していた。とウィギンスの母リンダは言っていたらしい。オーストラリアに帰省した帰りに、ウィギンスのおむつに忍ばせて大量のクスリを持ち帰ったことも。
- そのころにはもう喧嘩が絶えなくなっていた。レースから帰ってハイになったGarryはリンダを殴ったりしていた。ゲントに置き去りにされた、と報じられていたが、実際はクリスマスにロンドンの実家にウィギンスと帰省していたリンダに、「ミス・ドルトムント」と出会ってしまったので、もうリンダとその息子はゲントに帰らなくていい、と電話してきたのだった。
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その後Garryはマディソン世界選優勝や、ブレーメン6日間優勝など83-86年のキャリア最盛期(短い)を迎える。が、急速に成績を落とす。
- ウィギンスは当時の6日間レースがあまりに過酷だったことを伝えている。朝の3-4時になってもまだ終わらず、3時間睡眠で翌日走るような。
- ミス・ドルトムントは彼をサポートしようと手を尽くし、ブレーメンでバーを開いたが、Garryは店の財産を飲みつぶしてしまい、彼女とも別れることになる。で、オーストラリアに帰国。
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で、その後のウィギンスはお父さんはいないけれど、お母さんと母方の祖父母の愛情にかこまれて、典型的なロンドンの労働者階級の暮らしをしていたようです。
- 勉強ではほめられたことはなかったけど、運動ならなんでもよく出来た。まずサッカーにはまった。アーセナルに熱狂し、選手を追いかけた。
- ウエストハムの育成チームでゴールキーパーでなかなかいい線だったが、自転車への愛にめざめた。
(つづくかもしれないですがよくわかりません)
- (参照:アンフェタミン - Wikipedia)