ハモンド、ディスカバリー→Tモバイルへの移籍を語る
取り上げるのが遅くなってしまったけど、自分用に書いておきます。
英Cyclesport11月に掲載された”Going Mobile"というハモンドのインタビュー記事。
比較的小規模なMr. Bookmaker(現Unibet)からいきなりビッグチームのディスカバリーに移籍するも、2年連続パリ〜ルーべ前の怪我に泣かされ、チャンスを得られないまま実績あがらずだったハモンドがなんとライバルのまたもやビッグチームに移籍することになった経緯(やっぱり、吃驚した人おおかったのですねー、私もUnibetに戻るのかと思ってました)
- ディスカバリーに移籍したことにまったく後悔はない、この2年で大変多くを学ぶことができた。強く、軽くなり、よりよいトレーニングができるようになった。
- 最初ベルギーに渡って、小さいアマチュアチームからはじめて、プロになったのも小さいベルギーのチームで、それがのちにちょっと大きくなった。とういう矢先にプロツアー制度が導入されることになった。
- ちょうど(2005年に向けての)契約交渉を行っていた時期は、プロツアーの導入によって、ワイルドカードは小さいチームには与えられないという話になっていて、Mr. Bookmakerにいたらビッグレースで走れなくなるのではという切迫した状態にあった。
- そういうときオファーしてきたのがディスカバリーとTモバイル。Tモバイルは熱心だったがまだ確定的なオファーは出ず、ディスカバリーは確定申し込みをしてきた。Tモバイルにはウルリッヒが復帰するところで、予算的にどうかというのと、クラシックにどのくらい力を入れるのかわからなかった。
- いま思うと当時の自分にはまだ時期尚早だった、31歳だったけど、ビッグレースで実績をあげたのはまだ2年しかない「若輩者」だったから。本当は1年くらいそれまでと同じような環境で走るのが良かったのだと思う。
- しかし、もとのチームに残留しても、怪我をして契約更新に苦労していたかもしれないし、チャンスはもう二度と来なかったかもしれないから後悔はない(←はいはいあくまでネガティブなこといいたくないのわかったがな)
- 思うにcompatibilityの問題だったのだと思う。それまで自分は調子がよければ自分のために走れる環境にいた。それがどんなに調子がすばらしくても誰かのために働く必要がある状況になった。それは自分に与えられた任務で喜んで働くけど、それによって自分のために走るスキルを失っていったんだ*1。
(CycleSportはディスカバリーの今年のクラシックでの成果が強力なラインアップにかかわらずもうひとつであった理由を、1-2人のリーダーとその他、と固定した布陣にあり、もっとゆるやかな序列とすべきだったしているようです)
で、Tモバイルにいって大丈夫という根拠については・・・
- なんていうか、彼はいくらビッグチームだろうとなんだろうと、アシストがいようとなかろうと自分のために走ることが必要な人みたいですね(ディスカバリー移籍当時はそれがOKなはずだったんだろうな)。。
うーん、本当にチャンスはいままでより増えるといいですねえ。。っていうかディスカバリー移籍当時は、チームのなかでレースで自由に走ることが許されている4人のうちの一人、と言われていたような気がするのですがねえ、怪我で実績があがらないうちに。。。
*1:2006年の英国ロードナショナル選手権でスプリントで無名選手に競り負けたときCNにもそう書かれていた