tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

泥とわたしを繋ぐもの(2018年世界選手権のタイヤ選択をたどる)

盛り上がった世界選手権が終わりました。前橋のレース会場でも「昨日のレース見た?今晩のレースはどうなるだろう」と話題にする人が多かったです。現地観戦弾丸旅行から帰還した自称「にわかファン」のS氏(以下「自称にわかS氏」といいます。)から「今回のタイヤチョイスの話題は記事にでていたか」と聞かれたので探すと、CXマガジンにありました。

www.cxmagazine.com


今回のVan Aertの勝利はシーズン中に出るレースを絞り体調ピークを世界選に持ってきた「ピーキングの勝利」と言われていますが、機材音痴の自分でもタイヤの選択はシクロクロスと切っても切れない話題なのでよっこいせと読んでみました。
記事はこんな感じ。

【タイヤゲーム:タイヤ変更だらけの世界選】

・土曜日(男子ジュニア、女子U23、女子エリート)の勝者3名は全員ChallengeのLimusだった。
・日曜日のU23 の勝者IserbytもLimus。


・女子エリートの勝者、カントは普段はFMBのタイヤを使用しているが、世界選ではChallenge のLimusを使っていた。


・男子エリート勝者のVan Aertは自宅に広大なタイヤ用の地下室を有するタイヤマニアな知将Niels Albertと色々相談していたようで、事前にDugastベースにMTB用26インチタイヤのトレッドを使用した特別タイヤを使用するのではと話題になっていた。が、当日の選択は特製タイヤではなくDugastのRhino, 30mmという細いもの。

・通常ロードレースでは細いタイヤを使用して抵抗を軽減しようとするが、シクロクロスはその反対の傾向があり規格上限の33mmの太いもので凸凹対応や砂地への接地面を増やすことにメリットがあるとされる。

・ただし、泥でやわらかなコンディションの場合は逆に細いタイヤがよいとされてきた。フレームとの間にクリアランスを稼げ、柔らかな泥の下の固い層にグリップしやすく、また、地面が柔らかければショック吸収も必要ではない。

・Van Aertはもともと「自分は少数派の細いタイヤを好む派」と語っていた。

 ・一方Van der PoelはいつもDugastのRhinoを使っている。昨年の世界選手権で4度のパンクに見舞われたが、それを代えることはしてこなかったほど。ところが、今回のスタート直前に彼はChallengeのLimusを装着したバイクに交換していた。
・ヨーロッパのトッププロは日頃のタイヤスポンサーに米国ほど縛られることはなく、最終的には自費で自分の望むものを選択することができるようだ。
・レース後、Van Aertは「今日、タイヤが轍の幅より狭かったので轍の中でスライド(”sliding through") させ走りやすかった」とコメントしたが、勝因がタイヤにあったかというと「今年の世界選のレースはタイヤより脚の問題だ。」と語ったのでそれ以上の議論はできないで終わった。


 自称にわかS氏に記事の概略を伝えると異論ありでした。
【異論その1】

・カントはいつもFMBだし、FMBのインスタグラムではカントの世界タイトルにお祭り投稿だった。
・当日のバイクの写真を見たがタイヤのサイドの色はデュガスのようにみえる。デュガス独特のロゴがあるかどうかは泥で見えない。

  【異論その2】

・Mathieu Van der Poelがスタート直前にバイクを替えていたのは自分もスタートライン真横にいたので見た。でも自分の写真を見るとサイドにデュガスのロゴがみえる。

フロントローはToon Aerts以外全員デュガスとサイドに書いてある。Sweeckのタイヤは見えない。

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(Photo by: Sさん:世界選手権男子エリートのスタートライン)

自称にわかS氏はVIPチケット購入者だったので、スタートラインの真横かぶりつきで観られたのだった。すごいな。 

 で、わからないので欧州で何シーズンも闘ってきた辻浦さんにカントのタイヤについて聞いてみました。

【辻浦師匠のコメント】

・カントのトレッドはLimusにみえる。

・ベースにほかのトレッドを貼り替える事もあるからサイドでは判断できない。

・今回のコースはトレッドよりも幅のほうが重要。

・自分ならこのコースで33ミリは選ばない。

・日本では以前仙台の全日本のコース(菅生でしょうか?)がとても重い泥で、30ミリを宮澤選手と山本聖吾選手が使用した。当時、泥づまりの原因はフレームにあるという話が多かったが、その時ほとんどの選手は33ミリを使っていた。

・日本人選手は世界のトレンドに倣って33ミリを使うのが主流だが、日本人の脚力では抵抗が大きくなるデメリットもあるので32ミリというチョイスもあるだろう。また空気圧が高すぎでタイヤ幅を生かせていない場合が多くみられる。

・30ミリはハンドリングが軽くなる、轍をたどりやすくなるというメリットがあるが泥のときに30ミリが必ず良いかというと、刺さり過ぎても重くなるので、その場で試してみないとわからない。
・泥と言っても泥の層の底に石がある場合やコースレイアウト、レースのスピード域でタイヤ幅についてはどれが向くか変わってくるので、一概には言えない。

・オランダの世界選手権でAlbertが勝ったとき、30mmだった。 

・昨年のルクセンブルクでVan Aertが緑色のタイヤを選んで勝ったというのでやたらと話題になったけれど騒ぎすぎだと思う。

自分が思うのは、勝った人の機材が良いみたいな事になりがちだけれど、自分に合ったモノ見つけて使いこなした者が良いということになる。 真似も大切ではあるが。

はい、そうですよね。まあ世界選勝ったからといって一般人が自分も同じものを使いさえすれば勝てる、とは思わないでしょうけれども。要は自分に合ったものですね。
・そしてタイヤ幅はタイヤブロックパターン同様に重要ということで。
・ブロックパターンごとに各タイヤ幅のホイールそろえてスペアもとかいうと、ほんとモノ要りだし人員もたくさんいりますね。。辻浦さんはバイク3台、ホイール18本で参戦していたようです。

タイヤだけでは勝負は決まらない、でも調べるのが面白くなっちゃいました。 

 
【自称にわかS氏の再検証】

上記をS氏に伝えたところ、マチューの使用タイヤのトレッドがよく写ってる写真を拡大して調べたらしく、ノブの向きからしてチャレンジのライムスだと得心したらしい。やはり貼り付けたスペシャル仕様だったんですね。

・本人はにわかファンといって謙遜していますが、マニア魂が活躍するひと時であります。

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マチューのタイヤのノブ。上向き

(以下、Sさん提供)

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↑FMBのノブはZ型

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↑チャレンジのLimus ノブ上向き

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↑デュガスのリーノ ノブは下向き

 

そしてChallenge社HPでは特に自分の会社のタイヤのトレッドを使った世界タイトルのアピールはしていない。直接契約で提供したわけではないからでしょうか。

http://www.challengetech.it/news/en

ツイッターでは「うちのLimusの成功が雑誌の記事に出ていた」という言及はしている。

 

いっぽう、カントに供給契約しているFMBは大アピール。

契約スポンサーとしては契約選手に勝ってほしいので厳格に縛ることはしない代わりに(場合によってはスペシャルタイヤも作る?)タイトル獲得時にお抱え選手の優勝アピールができるということなのかもしれない。

 

【S氏発見のケビン・マイクルちょっといい話】

今回の検証作業(笑)中、S氏発見のマニアネタが提供された。今のところ他のメディアには取り上げられていないようだ。
・大健闘二位になったMichael Vanthorenhoutのタイヤのサイドには"K. P"の文字があったらしい。

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(S氏提供:K.Pのマークが。彼は32ミリだったのですね)

・S氏によるとこれは彼とMarluxのチームメイトであるベテランスター選手Kevin Pauwelsのマークで、実績ある人気選手が今回ベルギー代表から漏れたことで物議を醸したけれど、ケビンは自分が出場できない代わりに若きチームメイトにタイヤを貸したのではないか、との推測。
・Pauwelsのタイヤとアドバイスが後輩チームメイトであるマイクルの「金星」表彰台を呼び込んだとすると、なかなかいい話。レース前にPauwelsと共にあれこれ検討したのでしょうか。Albelt, Pauwelsが共に表彰台に上っていた時代からひとつ時が進んだ感がありますね。


泥と選手を繋ぐのは、タイヤだけでなく先輩から伝わるノウハウや技術、知識の存在もあるのかもしれませんね。 

 

 (辻浦さん、自称にわかSさん、ありがとうございました。)

 

 

Nysのコース試走とコメント(2018年シクロクロス世界選手権)

12月以来、義父が入院したため全日本も含め現地観戦休止しておりましたが(そろそろ再開予定)今日から世界選手権ですね。と今回も滑り込み投稿。
なんだかすごいコース(去年も聞いたような)らしいですが、Nysが走ってコメントしていたので。
Google蘭英翻訳から。意味がわからないところがいっぱいあって適当に訳してますので、適当に読んで下さい。)
・コースが技術的体力的にピンチに次ぐピンチな感じが伝わればと。
・これをみて「選手ほんとに大変」と思いました。でも選手なら与えられたコースの困難に、チャレンジしたくなるんでしょう、泥の坂の上から見たら底が茶色い石鹸みたいであろうと、ブラインドなままで穴に落ちるようであろうと、壁の直後にステップを登らせるのであろうと兎に角駆け抜ける選手の奮闘を見守りたいと思います。
・関係の皆様にとってよい世界選手権になりますよう!皆が楽しめますよう。

※↓これは木曜日の記事です

sporza.be

「このようなコースは選手時代経験したことがない」

  1. スタート
    短い、アスファルトのやや下るスタート、その後ダートにいきなり突入する。そこでカオスが起こる可能性がある。トップ10に入ることが肝要。スタート後の500mで15秒失う危険性がある

  2. 最初の障害「ドロップ」
    200m先の二度目の下りはブラインドで穴に落ちるような「ドロップ」。特に1周目は特別に危険だ。適正なスピードがあれば大きな問題は生じないはず。レースでアドレナリンが噴出していると間違いが起こることもある。
    スピードを挙げすぎると前転してしまうだろう、特に轍が深くなっていると。
    1周目はいつも特別のプレシャーがかかる。70名が一気にここにダイブする、早すぎるスピードで突入しがちだ。特にここは重要な時間帯になる。

  3. オープンエリア(スイスのような景色)
    シンプルな林間ワインディングのあとコースの中心部分に達する。開けた区間。いきなり視野が開ける。すこし右にまがるところでは理想的なラインの下に木の根がある。
    ここは両足でペダルを踏んで進むのが不可能な箇所、必ず混雑が起こり、誰かが滑り、ほかが巻き添えになる。(”This is cross at its best"←とGoogle蘭英訳がでたのですがどういう意味でしょう)
    ここはオランダにおけるスイスのようなところ、世界選手権でこのように美しいコースは見たことがない、現役時代に経験できず残念。

  4. スイスの下り
    このスペクタクルなセクションは週末はドライになることはなく常に選手が降車して通過するだろうが、歩いて降りるのもかなりの労力を使うため選手たちは乗車したがるだろう。
    この滑りやすさは注意深く乗車して下りることを勧めたいが轍をトレースしても少なくともスライドダウンすることになるだろう。
    かつてNiels Albertはこういう難しいセクションがあると何か方策をもっているような言い方をしてブラフをかますようなことをしていたが、他にも時間をロスするようなラフなセクションは複数あるので、ここだけを大げさに捉えすぎないことだ。
    エリート男子ではもちろんMathieu van der Poelがこういうセクションでは有利だろう、テクニカルだから。女子のマウンテンバイカーにも有利だ。 Ferrand-Prévot や Nash。もちろんSanne Cant も上手く通過するだろう。

  5. 深い谷「はじまりの場所」
    Caubergの丘の上にはカジノがある。コースの頂点近くだ。スイスの下りのあとで深い谷からカジノを高く見上げることになる。
    ここはコースの底になる。そしてここですべてが始まる、なぜならコースの困難な第二部が始まるところだから。ここから選手たちは非常に高低差のあるカジノに向かってよじ登ることになる。一本の長いラインでは登れない、段差やいくつかのテクニカルな箇所があちこちにある。

  6. Bevel(斜面)「滑ったらおしまい」
    上りの最初のテクニカル箇所は斜面だ。上から見下ろすと茶色の石鹸みたいに見える、そして走り始めたら止まることはできない。両足をペダルに乗せてきれいにクリアするのは容易ではないし、乗車するのも楽ではないのでそのアドバンテージをとらないこともあるだろうが、いずれの場合も機敏であることが必要とされる。

  7. 急峻な「壁」
    上りにおける二番目のテクニカル箇所は壁のような上りである。短い距離でものすごく登らなければならないとてもヘビーなところ。ドライなら半分あたりまで乗車できるだろうが、現状では無理だろう。ここはフィジカル的にもっとも苦しいところになるだろう、最後の勝負が始まったらここが最後にプッシュを始めるところだ。

  8. アスファルトとカジノ脇「速くはないだろう」
    2つのテクニカル区間を経て、カジノへ向かうアスファルトになる。カジノの屋根の高さまで登ることを考慮すべきだ。アスファルト路面だが、ここではもはや速くは走らないだろう。

  9. もう一つの厳しい上り「尋常ではない」
    長い上りのあとに選手たちを最後の厳しい上りが待っている。
    最後のダート区間は壁のようだ、脚がフレッシュだったらこなせるだろうが、極限までいっていた場合は多くの選手は途中で降車するように思う。そのあとにブリッジがあって途中まで階段がある箇所が周回の中で一番ヘビーなになるだろうから、それを念頭に素早くこなすことが重要だ。

  10. ブリッジ「Mathieuのジャンプ場所」
    レースを手中にしていてガッツがまだあったら、ジャンプする場所だ。この直後に右に曲がるとフィニッシュストレートになる。そこで順位を挽回するほどの余地はない、フィニッシュラインを越えたらまた非常にテクニカルな区間が始まって集中力が必要になる。

  11. 結論「Van der Poelが勝つ」

    落車やメカトラがなければ今シーズン一番完璧なMathieuが勝つであろう。もちろんVan Aertもこなせるだろうが、2位だろう。そのあとに私が考えているのはToon Aertsだ。ここにきてパフォーマンスはLaurens Sweeckをすこし上回っている。

    女子についてはこのレースはMTB選手たちに有利と考える。NashやFerrand-Prevotだ。U23ではPidcockとIserbytの接戦が楽しみだ。

    息子のThibauは現時点ではこのコースで勝負に絡めるほど強くはないので経験のために参戦することになるだろう。

    ・と、言っています(自信のないところ適当です)

    上記木曜日の記事ですが(走ったのいつ?)その後度重なる雨とかでコースコンディションはとにかくさらなるマッドのようで。観客長靴必須と。

    www.nieuwsblad.be


    これはRichard Groenendaalが設営前に走った映像。youtu.be 

    ベルギーチーム、Tim Merlierの試走動画。youtu.be 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少年は荒野を目指す

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今シーズン初めて、念願の飯山ナイタークロスを観戦することができた。何年か前雪中ナイタークロスとしてベルギーの新聞サイトに「過酷な条件に強い日本人」と取り上げられた。(Diegemまつり#2)「Meeusen向き」飯山ナイタークロスに反応したDiegemオーガナイザーは親日家? - tannenbaum居眠り日記💤


・今年は非常に冷たい雨。雨装備で手が凍えそうになりながら撮影。この時C2レースで帯同したFRIETENから昇格者が出たので、C1のナイトレースは殆ど見なかった。

・本部テントに若い選手がレースを終えてやってきた。途中リタイアの雰囲気ではない。ああ、高校生。信州クロスでは強いジュニアはC1と混走することを思い出した。
・冬の雨中夜間レースは止まった途端一気に凍える寒さ。その選手は急いで戻っていった。

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 翌日二日目昼間のレース。一転すばらしい好天。そしてまとわりつく泥。

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上位選手たちが降車を選択して小回りで駆けてゆく下って登る鋭角コーナー。彼らは乗って通過できないわけではないが、効率やリスクなどを考慮しての選択だったらしい。
・一人毎周乗車で通過する選手が。確実にロスなくこなせる自信があるのだろう。
リストをチェック。なるほど、彼が松山工業高校の村上功太郎選手。
・世界選に行った選手は一味ちがうと沿道の声が聞こえたけれど、大人たちに混じって自信に満ちた走りをしているようだった。MTBの選手なのかな(あとで確認したらそうだった)。

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(MCから雰囲気硬い表彰台(笑)と言われていたその日のジュニアの表彰台)

・このとき表彰台の小島選手はこれまで関東のレースで大人たちを置き去りにする姿を幾度となく見てきたし、橋本選手も前夜のC2混走でトップでゴール、人材を輩出し続ける信州の底力を見た。
・そして西には強い若手が何人もいると聞いていたけれども、まだまだこれから楽しみは尽きないなホクホク、と思った。


・その後本人とFacebookで繋がったところ、彼に言及する村上君のお父さん征士郎さんの投稿がタイムラインに。息子の単独渡航に保護者が同意するというベルギー当局への?提出文書に外務省のアポスティーユ証明を取得したというもの。
・自分は業務上アポスティーユ取得の必要がある時期があり面倒さは知っているが、お父さんは自力で調べて松山で公証人の署名証明取得→法務局の公証人押印証明を取得→外務省に郵送申請でアポスティーユ証明の取得まで処理していた。
・そして息子は単独渡航。とことん自主的に物事をすすめる親子のよう。
・でも、ベルギーではどうやってレースに出るのだろう?


そして迎えた全日本選手権。現地に出かけられず、有志(小金井三郎さん)の実況ライブで観戦。いつ誰が抜け出すかという緊迫した展開の中、村上選手が絶妙なタイミングでアタックし優勝。本人の頭の中はクールなんだろうと思った。世界選手権では10位台を目指したいとゴール後のインタビューに答えていた。
そして以下のお父さんの投稿。

MTBアジアシリーズ・マレーシア大会への単身遠征で、海外にチャレンジしたいという意欲が。
・CXシーズンは世界選に照準をあわせ、自分でリサーチしたところ年末年始に短期間にUCIポイント獲得可能なレースが固まって開催されることを知った。
・上述のマレーシアで一緒だった竹之内選手に帯同させてもらえないかと問い合わせをしたところ、快く引き受け、レースもサポートも手配をしてくれた。
・チームが同じというわけではなく躊躇があったけれど、思い切ってよかった。
・長年竹之内選手をサポートしているランジットさんの向かいの家に滞在する。宿泊先では自炊。
・ランジットさんの息子と同じレースに出場し一緒にサポートが受けられる。


レースや競技の内容のみならず、今後の人生で活きる色々な力が身につく遠征になりそう。

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 12月22日から1月4日までの2週間で4レース、出場レースにはワールドカップのHeusden-Zolder (12月26日)も含まれる。

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かつて鈴木雷太選手から始まったと言われる、日本人の海外レースへの挑戦。竹之内選手が継続してきたものを次につなげることができるのか。

 

若い選手、いや若くなくても向上心とチャレンジ精神を持つ、そんな人々を目の当たりにできる事が私がこの競技を見る楽しみの一つ。

 




 

 

 

 

 

宿願

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(Photo by Masakazu Abe)

ゴールで待ち構えながら息子の優勝に感涙に咽ぶ父親、じつは元選手、というシーンは世に多くあると思う。しかし、同じ舞台でいまだ国内トップ10を走る父が、息子の優勝ゴールの瞬間にすぐ後ろで走りながら同時に手を上げガッツポーズするというのは、他ではまず、起こり得ないのではないか。

 今年の全日本選手権に「マサノリが勝つのを応援しに行く」と言っていた佐宗広明さんに、小坂光選手の優勝が決まった直後にメール(メッセンジャーでなく携帯キャリアのメール)したところ、「涙が止まらなかった」という返事だけが返ってきた。

その後、ヒカル選手の優勝ゴールのガッツポーズと同時に、7-8位を走っていたお父さんがガッツポ-ズをしていたと聞き、なんという親子、と思った。その瞬間を佐宗さんは「シクロクロスの神様が小坂親子に舞い降りた瞬間」と。

「クロスの鬼」と言われた佐宗広明さんがFacebookに投稿した文章をご本人の了解を得て全文紹介。

【第23回シクロクロス全日本選手権大会

シクロクロス全日本選手権大会、第1回が開催されたのは1996年1月14日、原村にある自然文化園だった。シクロクロスミーティングの最終戦を兼ねていた。記念すべき初代チャンピオンになったのは愛三工業の大原満。2位は強豪MTB選手だった西田和弥、3位は『オレ様』こと牧野弘樹である。当時から『クロスの帝王』と呼ばれていた小坂正則は体調不良から前日に行われた長谷村の試合を欠場し、初開催の全日本に備えたが残念ながら終盤に落車負傷してリタイアとなっている。それから数えて今年の全日本が第23回となるが、その間には幾度か小坂(マサノリ)がタイトルを獲るチャンスがあったと思うのだがプロ選手ではなく国家公務員として競技を続けるマサノリは一歩及ばずに無縁だった。

年月が過ぎるのは早いもので原村の全日本選手権が開催された頃には小学校にも上がってなかった息子の光(ヒカル)が10年程前から頭角を現し、大学卒業後もプロ選手としての道を選ばず宇都宮市役所職員となり選手としての活動を続けている。数年前の全日本では親子で表彰台に上る姿を見るまでになった。そしてヒカルは国内のビッグレースに勝利を収める存在となり、全日本でも毎年、優勝候補の一角に挙げられ、所属する宇都宮ブリッツェンの地元開催となった昨年も悲願のタイトル奪取なるかと思われたが、残念ながら3位に終わっている。

そして迎えた今年の全日本、場所は小坂家のある佐久市からほど近い、野辺山高原・滝沢牧場。2週間前には例年通り野辺山2dayが開催されて多くの参加者、観客で賑わった。注目の優勝候補として自分は、ヒカルの他に、昨年の覇者である沢田時(ブリヂストンアンカー)、前田公平(弱虫ペダル)、過去に4連覇を達成している竹ノ内悠(Toyoフレーム)の4人を挙げた。そこに昨年2度目のU23タイトルを獲得して今年からエリートに上がった横山航太がどこまで食い込んで来るかが注目される。

金曜に降った雪は大した量ではなくエリートがスタートする14時にはコース上は土が露出する部分が多くなっていた。野辺山名物の泥区間も11月に行われるときに比べて酷くないようだ。レイアウトも舗装登りの直線が二つに分けられて短くなっているため、パワーで押し切るような勝負どころがなく、細かなテクニックの差と決定的なミスをしないことが勝負を分けるのではないかと思われた。

朝からジュニア、U23、女子エリートの試合を各地で見守った結果、ゴール付近にある馬車(?)の上で定点観戦することを決めた。定刻の14時、69名の選手がスタートを切った。第1コーナーから最初の登り区間、大きなトラブルもなく無難にスタートが切られた模様。そこから4名が抜け出す。ヒカル、前田、沢田、横山の4名が後続を引き離して馬場から上の舗装に消えていく。その後方に竹ノ内、ベテランの丸山厚が続く。(丸山は自分が『鬼』を演じていた頃、世界選手権代表になるなど有力な高校生4名の一人として走り始めた。)

2周目の途中で発表された周回数は予想通り8周。先頭の4名は互いに仕掛け合い、誰もが何処かでミスをしているようで、4周目辺りではヒカルと前田の2人と沢田・横山の間が20mほど開いたように見えた。ヒカルも何度かミスをして離れる時間帯があったがその度にすぐに差を詰めて先頭に戻る。今回は好調なようだ。

すると今度は前田がミスをして遅れ、代わって横山が一気にヒカルに追い付き、ヒカル&横山、前田&沢田のパックに分かれる。そしてヒカルと横山のマッチレースになると思われた残り2周の馬場から舗装登りへのアプローチで横山がまさかの落車、ヒカルに10秒ほどのリードを許してしまう。しかしテクニックに勝るであろう横山は(大雪の飯山大会をブッチギリで連勝したときの走りが忘れられない)諦めておらず少しずつ差を詰めて5秒ほどに詰め寄る。

迎えた最終ラップ、その差5秒を保ったまま上の牧草地、バギーコース区間へと消えていく。それまでは他の選手達にも左右から声援を送っていたが終盤の2周回はヒカルと横山の位置関係を遠目に追い、時計の針を見ながら秒差を確認することに徹して2人以外の姿は見えなくなっていた。ただし、ヒカルの父、マサノリが同じくスワコの兼子を従えて7位を走行していたので激を送り続けた。そしてなんと、ヒカルがフライオーバーを越えて大きなリードを保ったまま最後の舗装区間に入るころ、父マサノリが上の区間から降りて来る。すかさず『ヒカルがもう直ぐゴールするぞ!勝てるぞ!』と伝えると、ヤツはコーナーの度に目線をヒカルの方に向け、さらにヒカルがゴール前の直線に差し掛かるタイミングでマサノリは隣の直線を走っていて息子の勝利を確信した瞬間、両手を大きく天に突き上げていた。シクロクロスの神様が小坂親子に舞い降りた瞬間だった。自分も脚が震えて涙が止まらなくなっていた。いつの間にか近くに来ていたミレイ窪田氏も同様で、ガッチリ握手をして長年の夢が実現した瞬間を分かち合うことが出来た。

自分とマサノリは同い年で引き合いに出されることもあるが、彼とは身体能力、センス、勝負への拘り、どれをとっても比べるべくもないのだが、クロスは1年先輩、MTBレースも数年先に始めていたためか、何かと親しくさせてもらっている。自分が参戦していた頃から含めて毎年、全日本選手権ではタイトルを獲ってもらいたいと応援して、ここ数年はそれがヒカルへと移っていた。自分は彼らの親戚でもないのだが、何だか甥っ子が全日本チャンピオンになったような気がしてならない。

やったね!ヒカル。良かったな、マサノリ。来年はオヤジが獲る番だ!!

先頭争いを繰り広げた横山、前田、沢田の3選手にも賞賛の言葉を贈りたいと思う。6位と健闘した丸山厚の走りも嬉しい。さあ、来年の全日本選手権の展開は如何に…

 

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(Photo by Sasou-san)

文章にあるとおり、かつて競い合ったライバルであり友でもあり、そして日本のシクロクロスのトップグループをずっと走り続ける小坂正則さんの日本タイトルを応援し続けてきた身近な支援者が佐宗さん。

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(Millet.Kさんが佐宗さんのカメラで撮影)相好を崩す小坂正則さんと感無量な表情の佐宗さん。最終周回、Millet.Kさんと佐宗さんはすでに泣いていたらしい。

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(Photo by Sasou-san) 甥っ子が優勝したよう、というヒカル選手の優勝。

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(Photo by Sasou-san) 表彰式にて。なんとも嬉しそう。

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(Photo by Sasou-san) ヒカル選手の佐宗さんに向ける目は、飾らない。

毎週末父に連れられ過ごしたレース会場で育った小さかった男の子が、ついに頂点に立った。

 

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(96年、バイシクルクラブの特集記事、第一回シクロクロス全日本選手権で負傷しながら先頭の大原選手を追おうとする小坂さん)

http://www.hi-ho.ne.jp/millet/TUP/backnumber/95-96/79b.html ←Millet.KさんのTUNE UP PRESSによる詳細

http://tannenbaum.hatenadiary.jp/entry/20130221/p1←関連の当ブログ記事

佐宗さんの上の文章をよく読んでいただきたい。

やったね!ヒカル。良かったな、マサノリ。来年はオヤジが獲る番だ!!

 

シクロクロスの神様が再び舞い降りても、けして不思議なことではない。




DNF、失意を乗り越える6つのかんたんな方法

スタートは順調、徐々に順位を上げてゆく自分、さて、これから。。!というときに。

 (今回の写真は、本文とはあまり関係なく、シチュエーションも一致していません)

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(Photo by Yoshimatsu-san: 足立さん@野辺山 DNFしていませんが、痛い落車)


DNFした日曜日のレース後、週明けのFacebookには表彰台フォトを添えた選手の投稿に無数のイイね!が付き、リザルト表には自分の名前の横にDNFの文字がどーんと記され、ランキングや次回のスタート順に影響があるかもしれないし、週明け自転車ショップに出費のかさむお出かけが必要になるかもしれない。

 

www.cxmagazine.com

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(Photo by Yoshimatsu-san: 足立さん@野辺山 DNFしていませんが、痛い落車)

CX Magazineのお楽しみ記事コーナーに掲載されたAmy VanTasselの「DNFになったあとのプロ的対処法」という記事は、心理学的なアプローチ?で失意のDNF後の気持ちの持っていき方を提案している。(全部訳しては居ません。わからないところもあったし。)

1.糖質に身を委ねる

DNFした貴方はレース前カロリーを摂取しそしてDNFによってそれを使い切っておらずそういう事をする自分を批判したくなるかもしれない、でもますはすぐにビール。

運転して帰る場合や飲めない場合はフライドポテトのワゴン車のところで涙を落とし、ソースは追加で、そしてけして振り返らないこと。

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2. きめつけ、断罪、決定の禁止

「次の週末にはレースにエントリーしない」「このタイヤではもう走らない」「このカテゴリーで走るのはやめる」「レースにもうお金は使わない」など何かを評価、決断しようとしたり、今後の計画を行うことは当面回避する。少なくともDNFした当日は禁止。 

 

3.偽善者の衣を脱ぎ捨て、ヤジる

心にもなく他者を褒め称えたり上品ぶった格好つけは苦々しい気持ちを増すばかり。DNFした日こそ友達をヤジる時である。会場をうろつき、彼らに厳しさを味わせる。

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(野辺山にて:これは友を応援しているところ。。のはず)

レースアナウンサーや、運営関係者、ヤジっている人達など、普段あまり野次られにくい人々をヤジってみるのも一つの方法だ。いい反応が得られるかもしれない。


4. 自分の車に引きこもらない

DNF後、すぐに帰宅したいと思うかもしれないが、わたしは貴方にそうやってそのままダークサイドに落ちてもらいたくはない。人づきあいの世界にとどまるべき。
チームテントの片付けを手伝う、他の選手のピットを手伝う、運営者と仲良くするなど。そんなちょっとした行いが翌週の貴方に悪い影響を与えることはない。

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 (小貝川にて。これはテントを広げようとしている臼杵レーシング朝の風景)

 

5. 気晴らし、気晴らし、気晴らし

自分の走りがどんなだったか、ということを考えない。その日眠りにつくまで、リタイアした瞬間のことから気をそらすことが必要。友をヤジり、チームテントの片付けをしたあとは、ゴーカート、ボウリング、映画、タコス、Netflixなどの気晴らしのことを考え、ベッドで眠りにつく時もクロスワードパズルやドストエフスキーの小説やシクロクロスマガジンのFun column(この記事の掲載コーナー)を持ち込むと良い。

 

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(気晴らしとして農作業はおすすめ)

シクロクロスのレースはさほど経費がかさむものではなく、また、参加のチャンスは豊富である。アイアンマンに1シーズン前もって全額払込が要求されたり800ドルから1000ドルも1レースに払う必要があるトライアスロンほど経費がかかるわけではなく、一回のDNFがそれほどの大きな金銭的損害を貴方に与えるわけではない(丸太をバニーホップしようとしてカーボンリムを破損したのでなければ)。
なおこの比較はDNFへの対処の最終段階のためだけに使うこと。

6.  次のレースにエントリー

その翌週には次のレースがあるだろう。ホイールを借りたり、タイラップでシフターを固定してシングルギアのレースに出るのもいいし、自転車が完全にダメになったって、友達に甘言を弄して借りる話をしてもいい。レースに戻ること。

シクロクロスは楽しむためにあるのであって、DNFしたことで世界の終わりがくるわけではない。
Mathieu van der Poelですらメカトラになるではないか(その後完走して2位に入ったとかは考えない。)

上記の方法で自分はつねに成功を収めてきたので、DNF後のつらい日々を過ごす人の役に立てるといいと思っている。
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Squirrel!" って何かの俗語かな。リスっぽい考え方?深く考えない?、無心にナッツを食べるかんじ?

あと沿道から差し出される飲食物を全部受け取って”Hands up Hero"になるといいというのもあったけど、日本ではあまりやってないし認められそうにないから割愛した。米国も一般レース?だけなんだろうけどね。

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レースに行かない週末があったので訳してみました。全日本もいけないかなあ。。その失意にはリスのようにしてれば対処できる?

 

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(Photo by Sonoda-san:ふれあいパークほうらいにて、吉松さんはDNFしていませんがゴール後倒れている。レースフィールドには落車ではなくやりきった感じで倒れ込みたいですね。)

 

 

高木さんのカメラハーネス金具

高木さんについて思い出したのが、昨年2月のFacebook上のこのやりとり。私は一眼レフ二台持ちになる直前で、そうなった場合レース撮影するときのカメラの持ち方、掛け方、についてどうしたものか・・と投稿したところ、たくさんコメントを頂いた中に、その中に高木さんの以下のコメントがあった。

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 ↑の写真のカメラを支える金具のリング部分の摩耗度合いに、仕事人としての軌跡を見出した私は強く感動したのでした。

*1
一年中休まず日本中を西へ東へレースに飛び回っていた高木さんなので、連日の仕事でカメラハーネスの金具は日々摩耗し、ほかの色々な機材も勲章のようにさぞかし使い込まれていたんだろうな。。と思います。

そして、こういうふうに素人にさっとアドバイスのコメントをくださる、本当に大した方でした。

(しかし「お似合いです」っていう返答、どうなのか私。)

BLACKRAPID ダブル デュアルカメラハーネス DR-1 RSD-1BB

BLACKRAPID ダブル デュアルカメラハーネス DR-1 RSD-1BB

 

このダブルハーネス式は本当に良さそうではあったけれど万年初心者な趣味のおばさんにはハードコアすぎるイメージな気がして購入に至ってはいない。ただ先日の小貝川のレースでも自分の撮影体制に進歩がないことを痛感したのもあり、身体に優しく、が重要な年齢でもあり、再度考えてみようかと思っている。

 

*1:あとで見返して、背景や影がきちんとしている写真なのでこれは咄嗟にわざわざコメントのために撮影された高木さんのものではなく、どこかから引用した写真なのかも?と思って最初投稿したらFacebookで高木秀彰さんご本人がハーネスを買い替えなくてはというご自分の投稿にアップしていた写真だ、と教えて頂きました。高木康男さんどうもありがとうございます。高木康男さんのハーネス金具もすり減っているようです。

高木秀彰カメラマンの思い出

カメラマンで自転車ジャーナリストの高木秀彰さんが亡くなられたらしい。

金曜日の夜に消息が不明という情報を見てから自分も不安とその後の悲しみでいっぱいです。
彼を惜しみ、良くして頂いたという思い出が沢山流れているけれども、私もご多分に漏れず会うといつも気さくに爽やかな笑顔で、撮影やレースの見どころ等色々な情報を教えていただいた。会場にいつも当然のように存在する安定感と安心感。会うと嬉しい、親切だけれどもすごい方。大好きでした。

彼の日頃報道している学連レースやトラック競技などは、彼がいなければ情報を得ることがむずかしいものも多く、いつも各地を飛び回って精力的にレポートをしている様子に頭が下がる思いでした。

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(今年の6月、JBCF那須ロードレースにて)


このところSNSへの投稿内容も心なしかさらに熱く、ますます活発に活動されている印象だっただけに突然のニュースへの衝撃は大きい。信じたくなくて断続的に思い出しては涙している。私ぐらいでさえこうなのだから、より親しい方々の心中は想像にあまります。

本当にレース会場でもう会えないのだろうか?まだ半信半疑の気持ち。


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個人的に高木さんとのふれあいの思い出といえば、レース会場で差し入れをするのが楽しみだったこと。

最初に差し上げたのは、何かの全日本選手権級のシリアスな空気が流れるレース会場で、高木カメラマンがこちらのほうにやって来るのをみて「今あげたら迷惑かな」とそばの友人にいったら「そのお菓子は小さいし今はレースがお昼の小休止時間だから大丈夫だよ」と言われたので、おそるおそる差し上げところ、ものすごく喜んでくれて、「食べ物を持っていなかったから、すごく嬉しい」とその場で予定の倍量を完食。

その後は、遭遇した時に自作のお菓子やパンを持っていたら必ず多めに差し上げるのを通例にするようになった。


差し出すたびに「食べ物持ってなくて、助かる」というような返答があるので忙しいから敢えて食べるのは後回しにしているのかと思いつつも、嬉しそうに食べてもらえるのが嬉しかった。

最後に差し入れしたのは今年の6月。JBCFの那須ロードレース。不慣れなロードレース実業団の場で撮影している私に、位置取りのことなどさりげなく教えて頂いたり。そして差し上げたのは手作りのグラノーラバー2本。このときも笑顔で。

また補給食を持たずに旅立ってしまったのでは。もう一度差し入れをしたいです、高木さん。

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 (abemaさん提供)

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(ロードレースのイケメンを撮っているんですよ!というと僕ですか?とひょうきんなポーズ)

この日表彰式の後だったか、女子実業団レースの選手層が男子ほど厚くなくレース展開がなかなか白熱しづらい、という話になって、もともと女子はロードレースをはじめようという環境がないため、なかなか裾野が広がらない。この実業団レースで女子選手が男子のように多数出場して丁々発止の戦いをしてくれる日がくると良いのだけれど。学生のレースを見ていると、◯◯選手、◯◯選手がいまのところ注目かな。でももっと女子にやってほしいんですよ。そのためにも、女子選手も注目されてロードレース選手として活躍の場があるように現状を変えていけると良いのだけれど、こういう競技、こういう場もあるんだということで憧れて始めるような子が増えるようになるといいと思う。報道することで少しでも寄与できるといいと。。というような話を20分くらい一気に話してくださいました。

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情熱を持っていたけれど、それを他人に強い形でぶつけるというより、みずからの行動の内容のほうに現れていたような気がします。
高木さんと遭遇した記憶のあるレース会場はいっぱいあるけれども彼を撮った写真をさがしても那須以外にみつからなかった。でも、見返していて、彼が愛した世界は星空もレースも美しい、と改めて感じています。

どうぞ安らかに。ありがとうございました。残った我々もがんばります。