tannenbaum居眠り日記💤

観戦者の目による、おもに自転車(おもにシクロクロス)関連のすみっこネタブログです。

ガリー・ウィギンス

ガリー・ウィギンス, 1952 - 2008: 天使? ありえない。 模範的人物? 絶対違う。 伝説的人物? そのとおり。

PezCycling News - What's Cool In Pro Cycling
ブラッドリー・ウィギンスのお父さんGaryの死について捜査がはじまっているというニュースがでたのをきっかけにPezにガリー・ウィギンスという元選手とその人柄についてのあれこれが。
(この記事を書いたEdmond Hoodは何年も彼のことを記事にしたいと思っていたけれど編集者からブラッドリーが父親の名前が活字になることを喜ばないからと止められていたようです)
==============
長身のオージーはロンドンのクラブに招かれ渡欧、6日間レースなどで活躍し、当時トップテンに入る選手であったようですが、キャリアの最後はゲント在住だったようですが、なかなか一筋縄では評価できない人だったようで、愛想なく容赦なしで怖いとか友情に厚く話してみるととても頭がよかったとか、いずれにせよタフガイで勝利への意欲も強く、才能にあふれた選手であったようです。

    • 80年代ゲント6日間レース、選手キャビン回りでの目撃談。当時、かのPatrick Sercu*1の専属メカニックは自分が一番偉いと思っていて他人にに自分から話しかけるような人物ではなかったが、ガリー・ウィギンスにだけは自分から愛想よく挨拶していた。それに対しガリーは返事すらせず、軽くうなずくだけだった。「誰も"The Doc"には逆らえない」という話がとてもHood氏には印象に残った。
    • ガリーは専門のメカニックを雇うためのお金を出さず、ドイツの大きなマディソンレースに出場した。Hoodの友人は助手に駆り出されたが、大きな賞金がかかったレースで2位につけていたガリーの相方の後輪のパンクでホイール交換に手間取った。そのときのガリーの焼けつくような視線におそれをなし、もし交換したホイールのチェーンが外れたらガリーに殺されると思って電車にのってベルギーに逃げ帰った。
    • トレーニングパートナーのニュージーランド人は、トレーニングライド中にめったなことを言ってしまったら、彼が自転車をうちすてて野原に逃げようとしても絶対に捕まえられて制裁を受けた。
    • 仕事にあぶれた仲間には心配するな、と食事と酒をおごってくれ、もめごとになっても友人をかばって自分が殴られるようなタイプだった。

===============
彼が(ベルギーの税務当局から逃れるように)オーストラリアに去ったとき、幼いブラッドリーと妻は残された(置き去りにされた?)。ようです。。。普通の離婚とかじゃなかったのか。。そういえばブラッドリーはお父さんの苗字のままですね。「その行為は年月を経て社会と彼の息子Bladleyによって裁かれることとなった」という記載が彼がジュニア時代に所属していたオーストラリアのサイクリングクラブのHPにあるようです。

  • オーストラリアに帰ってからの彼はよくわかりませんが、ヨーロッパのマディソンチャンピオンとブレーメンの6日間レースを組んで優勝した仲間の英国人Doyleが訪ねて行くと、酒場の飲み仲間たちに「俺が以前はヨーロッパでどんなだったか彼らに教えてやってくれ」と言われたそうで、ネットのない当時は帰国後の彼が以前はヨーロッパでトップに立つような選手だったことを知る人はいなかったとか。

===============

  • 少なくとも晩年は窓ガラス掃除やバイク修理や塗装工などをしながら飲み過ぎの生活を送っていたようで、古い仲間たちの証言では、ちょっとばかりビールと女の子に走りすぎだった、とか、もうちょっと自分を大切にしていれば、もっと素晴らしい成果を上げられたのになあ。。優しいいい友達だったなあ。、という言葉が寄せられているようです。
  • 彼の部屋からは息子ウィギンスに関する何冊ものスクラップブックが見つかって、口には出さないけれど息子の輝かしい戦績をとても誇りにしていたようです。

インターネットのある時代だったら、もっと過去の栄光を利用できたかもしれないガリーですが、そんなこと通用しない母国での暮らしの中で、息子の栄光はさぞ内心誇らしかったんでしょう、。。

http://www.users.bigpond.net.au/lccchistory/page21.html#Gary_WIGGINS
Latrobe Cityサイクリングクラブは彼について、

彼は、すぐれて模範的な人物とはいえなかったが、才能あふれたプロのサイクリストであった

という言葉を添えて彼の略歴を記載しています。

*1:6日間レースの帝王。現在数々の6日間レースを取り仕切っている